自由経済は万能ではない


 市場経済も、民主主義も、資本主義も、自由経済も絶対ではない。また一種類ではない。どの様な体勢も、現体制の長所、利点をよく分析し、前提を確認した上で、弱点を補う仕組みを予め組み込んで、長所を生かす施策を採ることです。
 民主主義体制は、無秩序混乱の中から生み出される。そして、国民的合意を前提として成り立っている。国民的合意は、制度と手続によって保証されている。その為に、政策が実行に移されるためには、一時的混乱と、一定の時間が必要とされる。また、政策が、妥協の産物となりやすい。
 それに対し、ロシアのような旧社会主義国のような集権的な体制を敷く国では、対策が迅速にかつ集中的に執行する事が可能であるが、独善的で、強圧的なものになりやすい。また、権力の腐敗が致命的な問題に発展するという点である。
 どちらが良いかではなく。いずれの体制にも長所、欠点があり、それを選択するのは、国民の意志だという事である。そして、自国の欠点を抑制して長所を上手く活用した国が、優位な位置を占めることできるのである。

 権力の暴走を制動、抑止するのは国家制度、国家の仕組みである。

 国家権力と言うが国家権力に従わない権力が存在することの方が恐ろしい。その権力が闇の勢力であったらなお恐ろしい。反権力者を標榜する者の多くが、何等かの闇の権力と結びついている。

 分権的指向、民主主義的傾向が強く成りすぎると国民に人気のない政策はとりにくい。しかし、効果的な政策の多くは、国民に苦い思いをさせる。良薬は口に苦しである。人気ばかりを気にすれば、結局効果が相殺されてしまい。逆効果に陥る場合が多い。
 また、手続に手間取っているうちに時機を失することもある。

 集権的体制で最も危険なのは、権力の腐敗である。権力が過度に集中し、相互牽制が効かなくなると権力は、腐敗する。権力は、適度に分散し、なお、監視される必要がある。要は、いずれが良いかの問題ではなく、仕組み上の均衡の問題なのである。故に、古来中国では中道を目指したのである。何事も過信しすぎることが問題なのである。

 悪いのは、経済の混乱と硬直化である。そして、経済の混乱と硬直化を招くのは、無秩序と腐敗である。
 権力の腐敗は、経済を停滞させ、崩壊させる。それは、政治的権力に限らない。経済的権力も同様である。政治的権力の腐敗を招くのは、独裁であり、経済的権力の腐敗を招くのは、独占である。

 権力が過度に集中するようになると役人は、金融機関の人間の意見を聞かなくなり、金融機関は、実業家の意見を聞かなくなり、実業家は、消費者の意見を聞かなくなる。だからこそ政治家の役割が必要となるのである。

 ロシアは、公共投資の効果が期待できる段階にある。特に、インフラストラクチャーの課題は、まだまだ、多くある。

 ロシアが取り組むべき課題は、市場経済の基礎を構築することだと思う。
 第一に、環境問題である。第二に、農業、食糧の増産問題である。第三に、インターネットのインフラストラクチャー整備である。第四に、交通網の整備である。第五に、大学、研究所と言った技術革新、人材育成のインフラストラクチャーの整備である。第六に、上下水道、電気ガスと言った都市のインフラストラクチャーの整備である。
 特に、大学や研究施設の充実、建て直しは急務である。さもないと優秀な人材の流出は止まらなくなる。

 少なくともロシアには希望がある。資源や人材に潜在的な能力が隠されている。それがロシアの最大の強味でもある。
 かつてロシアは、トルストイ、ツルゲーネフ、ドスエフスキーといった文豪を生み出し、音楽では、チャイコフスキー、物理学では、ランダウ、リフシッツのような天才を生みだしてきた。

 インフラストラクチャーの整備が終わっていないという事は、それだけ公共投資の効果が期待できるのである。

 ロシアにとっては、ある意味で今は、好機である。

 計画経済の弊害は、全てが画一的なものになる点である。それを是正するためには、社会制度をいかに構造化、制度化するかにかかっている。

 金融政策だけで経済の全ての問題が解決できると真顔で言われると、本気ですかと聞き返したくなる。公共投資で解決できると言われたら、本当にそう思っているのですかと聞きたくなる。市場の原理を全て任せればいいと言われても同様である。
 それは、萬金丹さえあれば全ての病気はぴたりと治るとか、外科医が、何でもかんでも切ればいいと、お互いが主張してして譲らないようなものである。人間の病気が多様で、病が起こる原因も複合的であるように、経済の病も多様で、原因は複雑なのである。
 経済現象は、結果であって原因ではない。インフレーションもデフレーションも結果であって原因ではない。原因は、仕組みや状態と言った前提にある。

 病気にはいろいろな原因がある。それは、個々の医者の見立てに左右される。更に治療法も医者によって違いがある。これが絶対だという治療法は、確立されていない病気が多い。どの様な処方をするかは、個々の医者によって違う。要するに、その医者にとって最も効果的な治療法は何かに行き着く。
 経済も同様である。
 公共投資が是か、否かの問題でもなければ、金融政策が是か否かの問題でもない。何が最も有効な手立てかの問題である。しかも、それは、政策を見立てる人間の考え方にもよるのである。一番危険なのは柔軟な考え方がとれなくなることである。

 市場には、規律が必要である。市場に働く法則は、自然の法則とは異質なものである。人間の観念の所産である。不変的な真理とは違う。市場の状況は、人為的に引き起こされるものである。
 市場の問題の多くは、市場が荒れているのが問題なのである。市場の統制を取り戻すためには、市場の規律を見直す必要がある。その為に、会計制度を見直す必要がある。

 多くの仕事があって市場は有効に機能するのである。仕事がなくなれば、市場は、機能しなくなる。ある意味で市場は、非効率を好むのである。生産性の効率ばかりを計って、仕事をなくせば、市場は、すかすかになる。密度が薄くなるのである。





                    


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