民主主義と陰陽五行(抄)



 中国の覚醒は、陰陽五行による。今、中国は、永い眠りから醒め、青雲を得て、将に天に昇らんとす。

 存在は、気が凝集して命を蔵す。命は、混沌として無形である。無形である命は、象(かたち)を求める。命が肉体に宿って人はこの世に生まれる。命は、肉体に籠もって外に姿を現す。この世に生まれ時から五感が働き始める。五感の働きによって、意識が目覚める。それが分別の始まりである。生まれた時には、意識は混濁している。混沌である。
 意識は、意識自体によって自分を知る事はできない。肉体、即ち、外界を通して自分を知る。故に、自己と外界とは鏡像関係にある。鏡に写った自分の姿を見て自分を知る。
 真の自分の姿を意識は、直接認識する事はできない。外に映った自分の姿が歪めば、自分も歪む。自分の行為は、認識上に置いて自分の内と外に働く。それが意識の作用反作用である。意識の作用反作用の関係は、陰陽の元となる。意識の作用反作用は、権利義務、権限と責任の働きを生じさせる。

 自己は唯一の存在である。唯一の存在である自己には内なる世界と外なる世界がある。内なる世界は陰を形成し、外なる世界は、陽を形成する。内なる世界に対する働きは、陰なる働きであり、外なる世界に対する働きは、陽の働きである。
 自己の内は、主である。外は、客である。主たる自己は、自分を独自では、認識する事ができない。自己は、外界を通して自分を知る。自己は、間接的な認識対象である。故に、自己の行動は、主、自己の認識は客である。

 生命(いのち)は、混沌として一である。最初は未発で、無分別である。生まれた時は、意識は未だ働かない。
 人間の外に宇宙があるように、人間の内にも宇宙がある。命は、無窮である。命の本源は、冥い。光明は、外にある。故に、人は、内に信念を持って外に志す。
 内は、私であり、公は外になる。私は、陰で、公は、陽である。
 人は、生まれた時は、無分別である。自他の分別は、生まれた時には、未だない。自分の内と外とを隔てを知らない。分別は、意識の所産である。人間の魂は、混沌として一である。

 内にある霊界は、陰であり、物質的外界は、陽である。

 人には、表裏がある。人の主は、自己である。自己は、肉体を通じて表、物質的世界に現れる。魂は、裏にあって無形である。表とは即ち、外である。裏とは即ち、内である。
 自己は、行動によって外に現れ、経験によって内に意識が芽生える。

 肉体の働きは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感であり、意識の働き、仁、義、礼、智、信の五徳である。そして、五感、五徳の働きが五行を生み出す。

 人の行動は、一である。行動は、内と外との働きがある。行為による内と外への働きによって陰の世界と陽の世界が形成される。
 内と外とへの働きが、五徳、五感に結びついて陰陽五行が生じる。

 自己は、相生じ、相克して外界と内界との関係を形作る。それが私である。私は、個に転じる。個人とは、主たる自己を客体化した象である。この個人を核とした思想が個人主義である。

 人の一生は、少、壮、労の変化がある。その変化には、変易、不易、簡易の働きがある。

 個たる自己は、先ず、身を修め。しかる後に、家を斉え、国を治め、天下を平らかにするよう勤める。公と私は一体である。天人合一。

 民の気が凝集すると力が生じる。力は無形である。無形な力は、形を求めて国家を建てる。国家が建てば民意が働く。民意の働きによって義が凝縮されて法が立てられる。
 法は、一元である。法によって公と私が生じ、国と民とが分かたれる。国の分別の始まりである。国は陽で、民は陰である。
 民意の根源は、仁義礼智信である。

 天に、命あり。地に、国あり。人に民あり。天地人が一体となって創業は成就する。
 国の始源は、無法で冥い。光明は、民にある。国の内は、無法で冥い。故に、民に施し、志を求める。国に魂を入れるのは民である。

 個人が凝集して建国された国民国家を支えているのは国民の一人一人の徳である。故に、国民国家の基礎は仁義礼智信である。
 人は、政を篤くする。法は、義によって生まれ、礼によって保たれる。経済の根本は信によって成り立つ。教育によって智が保たり、理が育まれる。

 国を治めるのは人である。故に、個人は、国の礎である。
 国民国家は、個人が集結して建てた国家である。故に、国民国家は、忠によって成り立っている。忠の働きは、権利と義務を生じる。権利は、自己の外に対する働きであり、陽である。義務は、自己の内に対する働きであり、陰である。権利と義務は、陰陽であり、その本性は一体である。故に、義務のあるところには、権利が生じ、権利があるところには義務が生じる。権利と義務の関係は、相生である。
 また、国家に対する国民の権利は、国民に対する国家の義務であり、国家に対する国民の義務は、国家の国民に対する権利である。故に、国家にとって権利は陰であり、義務は、陽である。
 権限と責任は、位置より生ずる働きである。権限は、位置から生じる外に対する働きであり、責任は、位置より生じる内に対する働きである。故に、権限は、陽で、責任は陰である。その元は位置である。

 自己の存在は、自由と平等を生む。唯我独尊。万物斉同。自由は変易であり、平等は、不易である。その関係は、易簡である。存在の本質は、太一である。太極である。故に、求めるのは中庸である。

 人間関係根本を孝と悌に置くのが東洋的民主主義である。

 これが哲理である。

 中国は偉大だ。


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