統計と易



一にもいろいろある。
一とは、全体を表す一。
絶対を表す一。
一番。位置、頂点を表す一。
数の単位を表す一。
量の単位を表す一。
距離の単位を表す一がある。
変化・時間の単位を表す一。
数える一は、一次元の一であり、距離を表す一は、二次元の一であり、量を表す一は三次元の一である。変化を表す一は四次元の一である。

一が全体を表す時、全ては、零と一との間に位置付けられる。

易は、確率統計だという人が結構いる。
しかし、易の何が、どこが確率統計と重なるのかを明らかにする人は少ない。

自然現象もなるようになるのであって、そこに何らかの規則性や法則性があったとしてもそれは人間が生み出した法則や規則ではない。人間は、何も生み出した法則や規則などないし、例え、法則が変わる事があったとしてもそれは人間の力によって変わったのではない。
だから、数学や科学の本質は統計にあるのである。

科学だって数学だってそうなるからとしか言いようがないのであって、絶対的だとは言い切れない。
大数の法則だって、正規分布だってなるようになっているので、要するに、信じるか信じないかは、その人自身に任せるしかないのである。
結局、綻びを繕い続けているようなもので、過ちや誤差、失敗を修正しているうちに何かにたどり着いてしまった。それが科学や数学なのである。だから、統計は、科学や数学の本質に他ならない。
気が付いたら、何も変わっていなくて、お釈迦様も掌の中をグルグルと回っていただけなのである。

太極は全一。

易の本意は、未来を予測し、採るべき道を示唆する事にある。
だからこそ、確率統計の考え方の基礎となるのである。

経済問題では、確率が重要な働きをしている。
統計は、確率の基礎データを提供する。
確率の数値空間は、零と一との間で無限の広がりをもつ。
確率は全体を一とすることで成り立っている。
全体を一としたら一は百に変換される。

重要なのは、物事を対称的にとらえる事である。
基準を定め、原点を明らかにし、対象を対称的にとらえる事、対象を位置付ける事が分別の始まりである。
対称的にとらえようとするならば、基準、原点は零に設定する。
全体を制御するためには、中心によって均衡するように設定する。
故に、外に一、内に零である。

陰陽は対称している。
陰陽の対称性は、表裏となり、内外となり、正負となり、名実となる。
陰陽の対称は、二項分布や正規分布の基となる。
陰陽は統計の基礎を提供する。

易は、森羅万象を陰陽によって判別し、いくつかの相に分類をする。
相によって易は未来を予測する。

この様な易は、統計の定性分析には、絶大な力を発揮する。

陰陽は、二進数である。
二進数には確率統計の兆しがある。
更に二進数が発展して二項係数の象が作られる。
二進数は、二項分布や正規分布の本となる。
また、二進数は、ベイズ統計の基礎ともなる。

存在は一つ。
自己も一つ。
存在を自己が意識する事で自他が別れる。
存在と自己は自他一対となって二となる。
自他が別れて生じる認識は、相対的である。

内なる零は、全体の象は、一となる。一は二となる。

光あるところに物があれば、影が生じる。
光だけの世界は、何も識別できない。
物があり、影が生じるから識別ができるのである。
光と物と影。この三つが揃って世界は認識できる。
しかし、光と物と影の根本にある実体は一つである。
人が物を認識した時、認識された対象には、陰陽が生じる。
しかし陰陽の本は一つである。

陰陽の実体は、光と物と影の三つから成立する。
二は三となる。
分布の基礎を提供する。

一から、陰陽の二が生じる。天は陰陽を含んで三となる。

3と2の和は5、3と2の積は、6。5の2倍は、10。6の2倍は12。

1年は12ヵ月、どう切るか。2と6.、3と4、4と3、6と2。
時間の計算の仕方。

太極は時を内包する。変化は時間の関数である。太極は、変化し続け、揺らいでいる。太極の揺らぎは、陰陽の働きを生む。

変化にとって物事の順序は重要な意味を持つ。
変化を考察する時、順序が大事になるか、それとも順序は関係しないか。
それは、時間が陰に作用するか。陽に作用するかの問題である。

変化を先取りして計画を作る。
計画の基礎は段取りにある。
段取りの鍵は、順列と組み合わせ。

太極の運動から両儀が生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。
八卦を重ねて六十四卦となす。

陰陽は、均衡して中(あた)る。
均衡は〇零である。故に、太極は均衡して零となる。
全体は一。

陰陽を揺れ動くことで、零と一、即ち、二進数を形作る。
二進数は、分別の本となる。
陰陽の働きは、分別を生む。
陰陽の揺らぎから、表裏、内外、自他の別が生じる。

表裏、、内外、自他の別に基づいて是非、善悪、真偽、美醜が決断される。
決断とは、決して断ずることである。決して断ずるのは、自分である。

太極に有無はなく。有無は、意識から生まれる。
太極は無分別である。分別は、意識から生じる。

陽は外に現れる象であり、陰は内に潜む意識から生じる。
象は、実となり、意識は名となる。

実と名は対称する。
実には限りがあり、名には限りがない。

全体は、部分を統制し、部分は全体を構成している。

陰陽から相が生じ、事象は、仕分けられる。

易は、陰陽を組み合わせ64の相を持ち。さらに、6の段階の相をそれぞれが持つ。
即ち、384の場合分けがされている。

近代経済の特徴は、社会的分業の深化によって生産地と消費地が分離した事である。それに伴って職場と生活空間が別々のところに形成されるようになり、その隙間と距離を埋めるように市場や貨幣制度が形成されたのである。
そして、地域の生産力と消費量の不一致が、地域間格差を生み出す事になる。
人口は、労働と消費の基数となる。そして、労働は生産の資源となり、消費は生活の根拠となる。
生産と消費の基礎はいずれも人口であるが、生産労働人口と消費人口に歪が生じ、それが格差を生み出す原因となっている。
労働と分配の均衡を図るのが経済の本来の在り方なのである。

それ故に、分布と偏りが重要な要素となる。統計の意義は、分布と偏りを見出して是正する事にある。



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