天地人


光あるところに物があれば、影が生じる。光だけの世界は、何も識別できない。物があり、影が生じるから識別ができるのである。光と物と影。この三つが揃って世界は認識できる。しかし、光と物と影の根本にある実体は一つである。人が物を認識した時、認識された対象には、陰陽が生じる。しかし陰陽の本は一つである。

天地人。
天の時、地の利、人の和。

経済に天地人がある。

天とは、時間、即ち、過程、段階等を指す。
地とは、地の利、即ち、立地条件、市場規模等を言う。
人とは、人口、社員数等を言う。

経済規模を制約するのは、貨幣ではなく、人と物である。
なぜならば、貨幣は、数値であり、実体を持たず、無限だからである。それに対して、人と物は、実体を持ち有限である。故に、市場規模を制約する実質条件は、人と物によって形成される。
貨幣価値には量しかない。それに対して、人や物は、量と質からなる。故に、実体的経済には、質量、密度がある。

貨幣価値は可算集合である。

距離の集合が空間を形成する。故に、空間の歪は距離に現れる。

貨幣価値が無限であるのに対して、物質的空間は限りがある。
無限に発散しようとする貨幣価値は、市場規模が物質的な限界に達すると収縮を始める。
見かけ上は拡大しているように見えても、実体は収縮しているというような事象が起こるのである。故に、実際の物の動きと金の動きを常に関連付けてみる必要がある。
名目的な動きと実質的動きは連動しているとは限らない。

経済は、個々の局面に注目しただけでは理解できない。それは経済は分配の仕組みであって分配は、全体の状態と部分の働きを合わせて見なければ意味が解らないからである。

朝三暮四的な発想が経済にはある。総量は変化していないのに分配に違いが出て、それが価値の総量を変動させてしまう。

全体との関わりにおいて何が変化し、何が変わっていないかを見極める事である。

経済の本質は、いかに生産的な費用を増やすかにある。
要は効用であり、付加価値である。第一、経済成長は、付加価値の増大を意味する。現在行われている経費削減は、付加価値の削減を意味している事を忘れてはならない。
つまり、経済の問題というのは、付加価値の分配と総量の増減問題に還元できる。

経済成長を前提とするならば、単なる経費削減は、経済成長を抑制する事を忘れてはならない。

経済には、いくつかの景気の波がある。その波には、各々に波を構成する要因がある。景気の変動は、多分に構造的な事である。

収入は不確実で不安定である。それに対して支出は、確定的で、持続的に派生する。
支出には特定の波がある。償却期間が一つの波の基準と言える。
経営者には、儲かった時に資金を蓄え、、赤字の時に備えたいという動機が働く。
産業の構造によっては、冬籠り、冬眠する企業も出てくる。

例えば住宅のような30年、40年、事情によっては半永久的な寿命を持つ財もあれば生鮮食品の様に日々消費されていく財もある。

相場物の様に値動きが激しい財の価格をいかに平準化するか。
また、住宅の様に一度投資をすると長期間更新されない財は、新規投資による市況と、更新、リフォームによる市況の期間とでは産業構造もおのずと変化する。
多額の設備投資を必要とする産業もあれば、設備投資を全く必要としない産業もあり、費用構造、資産構造、収益構造、負債構造は、各々の産業に特性があって一律ではない。

また、資産構造、費用構造、収益構造、負債構造の違いによって投資の在り様にも違いが生じる。それによって資金の流れにも差が生じ、産業毎に景気の波が違ってくる。

費用や支出の在り様は、全ての産業が一律なのではなく。個々の産業ごとに違う。また、ライフサイクルも違う。この事を前提として経済政策がとられないと経済政策の実効性はなく。場合には、逆効果になる。

経済政策に万能薬はない。規制緩和、規制緩和。公共投資、公共投資と馬鹿の一つ覚えに叫ぶのは、何でもかんでもアスピリンを飲ませておけばいいという藪医者のごときものである。

見落としてはならないのは、生産にせよ、消費にせよ、人口がかかわっているという事である。労働人口と消費人口の関係が経済の基礎にある事を忘れてはならない。

仮に人口や物の消費量も生産量が変化しないと仮定したら価格は通貨の量に左右される。確かに、表面だけ見たら経済は、純粋に貨幣的現象だと言える。むろん、人口も、消費量も生産量も絶え間なく変化しており、単純に貨幣だけの現象だ断定する事はできない。ただ、経済の実体は、本来、人口と、消費量と生産量に還元されなければならない問題なのに、現代経済は、貨幣的現象に振り回されている。極端な場合、貨幣の動きでしか経済を理解しようとしていない。それが経済の本質を見誤らせているのである。

技術革新は、熟練を必要とする仕事の必要性を縮小し、熟練工を淘汰し、あるいは、寿命を短くした。

易に、不易、変易、簡易の三義あり。

変化は時の関数で表す事ができる。
不易は定数、変易は、変数、簡易は関数を表す。
不易は位置、変易は、運動、簡易は、関係を表す。

世界は、一つ。
故に、世界経済も一つである。世界経済の実相は、絶え間なく変化し続けている。しかし世界経済を動かしている会計原則は一定である。その関係は、「お金」の出入りに基づき単純である。

天の時とは何か。
時は、変化を意味する。
諸行無常、物事は移り変わる。
変化の相をとらえる事で、将来を予測し、準備する事が可能となる。
変化には、位相、空間、構造、個体の運動等がある。

変化には、直線的変化、線形的変化、不可逆的変化と循環的変化、周期的変化の二つがある。
経済的変化は、循環的変化を基礎としている。
なぜならば、現在の経済を動かしているのは、貨幣の循環運動だからである。

現在の経済は、「お金」の循環によって動いている。お金の循環は、波を生む。波には、周期がある。

また、地球の物理的変化も地球の回転に基づく。故に、経済の基本は、循環である。
万物は流転する。

経済を考える時、暦づくりが大切になる。
経済をはじめ世の中の出来事には、いくつかの周期がある。その周期の調和を計る事が経済政策の主眼となる。その為の基礎となるのが暦である。

易は、十を基礎とする周期と十二を基礎とする周期の二つを用意し、その組み合わせによる六十の周期が準備されている。

物事には、春夏秋冬の四季がある。そして、四季は毎年巡ってくる。
経済にも、会社にも春夏秋冬の四季がある。

六爻は時の流れを表す。その時、置かれた段階によって卦の内容も変わる。

六爻は、少、壮、老の三段階を示す。
そして、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復の位がある。
また、潜伏、顕現、成長、躍動、飛躍、充足の変化がある。

地の利は、地形としておらわれ、地相として現れ、距離として現れ、高低として現れ、空間の歪として現れ、水の流れとして現れ、風の流れとして現れ、交通として現れる。そして、資源として現れる。
地の利は、物理的空間に基づく。
地の利には、方位、位置、高低、交通、流れ、歪、水利などがある。

人は、主体である。人には、生活があり、欲があり、守るものがあり、働き手であり、消費者でもある。それが経済を育てるのである。

地と人のかかわりは、人口の分布として現れ、生産手段の分布として現れ、資源の分布として現れる。

天地人は、金人物に置き換える事ができる。

市場経済は、人、物、金によって構成される。
故に、市場の実相を知るためには、人、物、金の働き、状態を明らかにする必要がある。

 
(個人 生産 支出
労働 (制度単位 蓄積
所得 消費 (市場)

制度単位は、金融法人、非金融法人、一般政府、家計、対家計民間非営利団体、そして、海外部門を指して言う。
人は、物の生産に対して労働という生産手段を提供し、所得を得る。物は、労働によって生産され、市場を経由して消費される。金は、支出によって市場に供出、分配を仲介する。
所得は、人件費であり、生活費でもある。
消費と生産は、需要と供給の基となり、財の市場流通量を制約する。通貨の流量によって支出と分配は制御される。財の価格、物価は、財の需給と通貨の流量によって裁定される。
物は、労働によって生産され、金の支出によって配られる。
人は、所得を得て必要な物を市場から手に入れる。
金は、働きに応じて人に配られ、物の分配を仲介し、価値を蓄積する。

仮に人口や物の消費量も生産量が変化しないと仮定したら価格は通貨の量に左右される。つまり、確かに、表面だけ見たら経済は、純粋に貨幣的現象だと言える。むろん、人口も、消費量も生産量も絶え間なく変化しており、単純に貨幣だけの現象だ断定する事はできない。ただ、経済の実体は、本来、人口と、消費量と生産量に還元されなければならない問題なのに、現代経済は、貨幣的現象に振り回されている。極端な場合、貨幣の動きでしか経済を理解しようとしていない。それが経済の本質を見誤らせているのである。

人の働きの基盤は、人口構成に現れ、物の働きの基盤は、生産に現れ、金の働きの基盤は、通貨の量と流れに現れる。
故に、市場全体の相は、下爻に生産、中爻に人口、上爻に利益として表す事ができる。

人は、生活であり、労働であり、生産である。

所得は、賃金として上昇圧力が働く。人件費、費用として下げ圧力がかかる。

収支は、損得の問題ではなく、過不足の問題である。

収入の中に占める所得の割合と支出に消費が占める割合は常に均衡しようとする。

利益は差。収益は積。総資産と総資本は、和。
総資産と総資本は等しく。総資本の核は、純資産である。
純資産は、利益につながる。




ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2016.1.16.Keiichirou Koyano