五  行


社会にも会社にも病がある。
社会や会社の病は、陰陽の働きが乱れる事で起こる。

万物は流転する。経済もまた、循環する。
経済は陰陽の働きによって循環する。
陰陽の働きが乱れれば、社会や会社は病になる。
陰陽の働きを整え、社会や会社の体制を調和させ、金を流れを円滑にするのが、公の責務である。

経済には、陰陽の働きがある。
陰陽は、是非、善悪、成否の外にある。
易は、吉凶悔吝を占うのである。

爻象は内に動いて、吉凶は外に見(あら)われ、功業は変に見(あら)われ、聖人の情は辞に見(あら)わる。

決断するは吾にある。易は、決断を促す為の指針である。

吉凶悔吝は、動に生ずる者なり。剛柔は、本(もと)を立つる者なり。変通は、時に趣(おもむ)く者なり。
吉・凶・悔・吝は、動きから生じるものである。剛・柔は、物事のはじめをたつものである。変・通は、時に対してめざすところのものである。

太極は時を内包する。
変化は時間の関数である。
太極は、変化し続け、揺らいでいる。
太極の揺らぎは、陰陽の働きを生む。

陽は外に現れる象であり、陰は内に潜む意識から生じる。
象は、実となり、意識は名となる。

実と名は対称する。
実には限りがあり、名には限りがない。

陰陽は対称している。
陰陽の対称性は、表裏となり、内外となり、正負となり、名実となる。

陰陽は、剛柔の法である。
剛柔の調和によって経済は保たれるのである。

今の経済は、是非、善悪、一方向の流れしか是認しない。
強弱は働きの状態を言う。

強弱は、変動幅によって陰陽を判定する。変動幅が大きければ陽、小さければ陰とする。

強きは、弱きを助け。弱きは、強きを抑えるから物事は回転する。
弱きが強きを助け。強きが弱きを押さえれば、強きはいつまでも強く、弱きはいつまでも弱くなり、物事は膠着する。
消長は時の定め。成否は、人の決断にあり。強弱は、物の性にある。
天地人。

太極は、混沌としている。

天は唯一であり、絶対である。

全体は一である。全体の総和は零(〇)である。
総和は零であるが故に天、即ち、全体は一となる。
一から、陰陽の二が生じる。天は陰陽を含んで三となる。

全体の総和がゼロのような事象を零和という。
市場は、垂直方向にも、水平方向にも零和となる。

市場取引は、第一に、貨幣は、貨幣単体で成り立っているわけではない。対象と働きがあって成り立っている。
貨幣の働きは、貨幣単体で機能を発揮するわけではない。必ず、貨幣の働きと等価な何らかの対象の反対方向の働きが一対となって成立している。(作用反作用の法則。)
第二に、取引の作用、反作用の法則が成り立つことで、市場取引の総計はゼロになる。
第三に、市場取引は常に均衡しようとする働きがある。

貨幣は陰の力を発揮する。貨幣は、交換価値を表象する。貨幣自体が使用価値を持つわけではない。故に、貨幣は虚であり、陰である。財は陽であり、消費されることで価値を発揮する。
市場価値は、陰陽一体となって構成される。
陰の力が市場に満ちると陽の力が抑えられ、陰陽の均衡が破られ、陰の力が相対的に弱まる。陰陽を生み出すのは人である。故に、太極は人にある。
陰陽は、人・物・金の働きが均衡したところで効用が発揮される。いずれかに偏ると陰陽は乱れる。人の労働、金の所得、物の生産これらを調和させる場が市場である。

現在の市場はお金に偏り過ぎている。即ち陰が勝っている。物の働きが相対的に弱く、その為に太極、即ち、人倫が乱れ、市場は修羅場、争いの場と化している。

物や人の世界には限りがある。数の世界には限りがない。
お金は、数である。故に、お金の世界には限りない。
お金でこの世を見ていたら、実態を見失い。お金は、名目であり、虚である。

貨幣価値は、質量は、無限大の価値を持つ。
貨幣単位は、上に開いた自然数である。
人や物の世界は、有限である。それに対して、数は無限に拡散する。
人や物の量と数の積である貨幣価値は無限の質量をもつのである。
この点を正しく認識していないと経済的価値を測る事はできない。

例えば、人口が減少し、一方で空き家や空室が増えているのに、投機的動機で賃貸住宅や集合住宅の着工件数が伸びている。実需は、期待できないし、既存の住宅の価値を劣化させている。一方でホームレスが増えている。これらは、実体を忘れて虚構に囚われているからである。

経済の実体を正確に把握するためには、前提条件を確認する必要がある。状況を確認せずに頭から何が何でも規制を緩和しろ、競争は原理だという姿勢は合理的に見えて合理的ではない。なぜ、どの様な要因によって、どの様な事態、事象が起こっており。それをどのようにしたいのか。また、どの様にすべきなのか。物事の因果関係を明らかにしたうえで対策を立てるべきなのである。

お金は、市場を巡る事で効用を発揮する。お金が市場を巡る事で絶えず陰陽は所を変えている。陰陽が所を変える事で、市場は、拡大と収縮を繰り返す。
市場は拡大、成長ばかりしているわけにはいかない。拡大、成長する時と所があれば、縮小する時と所がある。そして、収縮期こそ政策の是非が問われるのである。

易は、順列、組み合わせの問題だともいえる。
順列、組み合わせの問題だから、全体を俯瞰でき、また、個々の働きと全体の働きを同時にとらえる事ができる。
順列、組み合わせは、確立統計、集合論、群論の基礎ともなる。
故に、易は、数学であり、科学でもある。

全体は、部分を統制し、部分は全体を構成している。
企業業績は、市場全体の動向に制約をされ、市場全体は、企業活動によって形成される。
市場は、不変的に拡大、成長し続けるわけではない。
市場全体は、拡大、収縮を繰り返す事によって、市場を構成する部分は、創生、発展、成熟、停滞、衰退、再生の変態をする。
市場は産業の拡大成長によって飽和状態に陥り、縮小していく。
市場が飽和状態に陥るまでが拡大成長期で、飽和状態になった後は、成熟、停滞、衰退期となる。
市場が飽和状態に陥ったら即、停滞衰退するかとは限らない。
ただ、市場の状態に応じて個々の企業の収益構造や市場の仕組みを変化させないと産業は衰退してしまう。

市場は、一つではない。いくつもの市場が集合して一つの全体を形作っている。
全体を形作る個々の市場には、それぞれ特性があり、一律に扱う事はできない。短期で消費する財もあれば、長い期間掛かって消費される財もある。取り扱う財の性格によって自ずから市場の性質、仕組み、構造にも違いが生じる。
一度、飽和点に達すると長期にわたって新たな需要が生まれない市場もあれば、絶え間なく需要を生み続ける市場もある。
市場に財が行き渡った後は、更新や改造、リサイクルに重点が移る市場もある。それに合わせて企業の収益構造や市場の仕組みを変えなければ経済は円滑に機能しなくなる。

絶え間なく、技術革新、新規ばかりに狙いを定めていると市場を土台から切り崩してしまう。市場の重要な役割は、必要な物、必要な量を必要なだけ生産し、それを働きに応じて分配することにある。
必要とするものは、新しい物ばかりではない。
市場が生成発展期においては、競争は、有効だが、飽和状態に陥り、成熟期になるとむしろ弊害となる。
成熟期では、競争や技術革新よりも協調や合理化が有効となる。しかし、協調や合理化も行き過ぎると市場が偏り停滞衰退を招く。必要に応じて規制の強化と緩和を繰り返し、市場の効率化を図る必要がある。
進歩だけが善なのではない。
万物は流転する。諸行無常。
不易、変易、簡易。

市場は、有限である。人口も財も有限である。
しかし、数値は無限である。貨幣価値は数値である。故に、貨幣価値は無限に生成する。
それが市場が無限に拡大しているかの錯覚を引き起こすのである。しかし、物的にも人的にも市場は有限であり、それが、物的経済成長の限界である。その物的限界を超えて貨幣が供給されると経済は乱調をきたす。

例えばコンビニである。2015年の時点で、北海道の人口は、550万人に対しコンビニの件数は3000店あり、一店当たりの人口は、1800人、これ以上の出店は、限界である。
(株式会社セコマ 赤尾昭彦会長談)

2016年2月26日に発表された平成27年の国勢調査において1920年調査開始以来初めて人口が減少に転じた。
総所得は、労働人口×平均賃金であるから、総所得を増やすためには、労働人口か、平均賃金を増やす必要がある。労働人口は、今後減少し続ける。そうなると平均賃金を増やす必要があるが、平均賃金は、生産性を基礎として測られる相対的値である。つまり、いくら名目的賃金が上がったとしても実質的賃金が上昇するわけではない。実質的賃金は、その国の生産性を基礎としているために、ある一定の水準に均衡しようとする。
それが先行している国にて対しては負荷となり、後続する国に対しては推進力となる。
故に、労働人口が減少し、平均賃金が高水準にある日本は、実質的総所得が増える余地は少ない。故に、量的拡大ではなく、質の向上によって経済の密度を高める方策をとる必要がある。それが少子高齢化が予測される日本の取るべき道である。

太極は零和である。

人の世は、力の均衡によって成り立っている。
世の中を構成する力は、それ単独で働いてるのではなく。相互に関連し、影響しあい、あるいは反発する事によって位置と運動と関係を定めている。部分が相生相剋する事によって全体の統一は保たれている。

例えば、力が強まる者があるという事は、相対的に力が弱まる者がある事を意味する。
増えるものがあれば減るものがある。弱肉強食という関係だけで世の中を規制するのは危険な行為である。
肉食動物だけで自然界は成り立っているわけではない。強弱は、必ずしも善悪と一体とは限らない。弱者には、弱者としての生き様、戦略がある。
それが天の理である。

経済の本質は、いかに生産的な費用を増やすかにある。
要は効用であり、付加価値である。第一、経済成長は、付加価値の増大を意味する。現在行われている経費削減は、付加価値の削減を意味している事を忘れてはならない。

一人ひとりの所得が上がれば、費用が増え、費用が増えれば、収益が圧迫されて利益が減る。人が増えても全体の生産量に変わりがなければ、一人ひとりの取り分が減る。所得がいくら増えたところで生産された物の総量が変わらなければ、取り分は変わらない。所得の上昇率より物価の上率が高ければ、実質所得は下がっているのである。
皆が金持ちになったからと言って皆が豊かになるわけではない。ただ皆の所得額が増えただけである。

所得、物価、人口、雇用、生産力、通貨の流量、通貨の速度、金利、為替等は単独に働いているのではなく、相互に関連し、相互に影響しながら、調和を保っているのである。均衡が破れれば経済は破綻する。
世の中の力関係を掌握しないと経済を制御する事はできない。

経済を分析する時、重要なのは、絶対数の増減と比率の関係を見極める事である。
例えば、増益減益と利益率の関係である。
例えば、営業利益は増えているのに、営業利益率が下がっている場合である。それは、収益の拡大と営業利益の増加の速度に差があるからである。それが何に起因しているかを見極めないと経済政策を誤ることになる。

一点だけを注視しても全体は見えてこない。
それぞれの部分には、位置と運動と関係があり、位置と運動と関係は、全体が見えなければ特定できない。

経済の働きには、生産、分配、消費、貯蔵、交易の五つの働きがある。
この五つの働きを活用するのが人、物、金である。
貨幣制度は、お金の循環によって物の流通を促す仕組みである。
人は、主体。物は、客体。金は媒体である。
人と物には実体があるが、「お金」には実体がない。故に、陰である。

五という数字はいろいろな局面に現れる。
例えば、会計を構成する要素は、資産、負債、純資産、費用、収益の五つの勘定である。

例えば、何らかの設備投資をして事業を始める事を想定すると。まず、資本金(純資産)を集めてそれを元手にして借金(負債)をして、設備(資産)を購入、人を雇い、原材料(費用)を仕入れて商品を生産し、それを売り上げて利益を上げるという循環を作る。
これが、相生の本となる。

この循環的動きと、陰陽の動きが組み合わさって経済の仕組みは動いている。つまり、会計は、陰陽五行の典型的な事象なのである。

資金の流れは、陰陽を生み出す。陰陽は、常に均衡している。陰陽が均衡しなくなると経済は破綻する。陰陽が揺れ動くことで太極は回転する。
陰陽の働きは、貸借対照表と損益計算書に表れる。
貸借対照表、損益計算書に表れる貸し借りの働きと売り買いの働きによって資金は、経済の機関を循環する。

マクロ会計の複式記入には、垂直的複式記入と水平的複式記入がある。そして、各々の記入方法は、各々の記入方法による働きを表している。
そして、取引は、水平方向にも垂直方向にも均衡して、零和になる。この様な個々の取引が全体を零和に均衡させている。

第一に、勘定には、貸方と借方があり、貸方から借方へ資金が流れた時、勘定の総額は増え、逆に流れると総額は減る。
第二に、勘定には、正の位置と負の位置がある。
第三に、貸方を正の位置とする勘定を陰とし、借方を正の位置とする勘定を陽とする。
第四に、借方を正の位置とするのは、資産、費用とし。貸方を正の位置とするのは、負債、純資産、収益とする。負の位置の勘定は、正の位置の勘定を越えてはならない。
第五に、演算は、加算的減算を原則とする。
第六に、貸借対照表には、残高、純額で表され、損益計算書には累計、総額で表される。
第七に、勘定に用いられるのは、原則的に自然数であり、一部の例外を除いて負の数は用いられない。。
第八に、貸借対照表と損益計算書は、残高主義を表す。
第九に、個々の取引は、均衡していて零和である。
第十に、総資産と総資本は均衡して零和である。
第十一に、利益は、貸し借りを均衡させるための指標である。利益は、収益と費用の差額、純資産は、資産と負債の差額である。
第十二に、経済機関は、資金が循環しなくなると機能しなくなる。
第十三に、単位期間を設定する。原則として一年。
第十四に、勘定の結果は、貸借と損益に区分される。貸借は、ストックを表し、損益は、フローを表す。ストックによって資金の働きを蓄え、フローで資金の働きを発揮する。
第十五に、取引は必ず相対取引を前提として成り立っている。

勘定の増減パターンは、次のようになる。
《借方要素》
資産の増加
負債の減少
純資産(資本)の減少
費用の発生
収益の消滅

《貸方要素》
資産の減少
負債の増加
純資産(資本)の増加
収益の発生
費用の消滅

ただし、費用対収益のパターンの仕分けは基本的にない。



収益は、単価と数量の積であり、総資産は、全ての資産の和であり、負債と純資産の和である。

取引には、必ず相手がいて反対取引をするため、市場全体の経済価値の総量は、零和である。

経済の最終的目的は、必要な物を必要なだけ生産し、必要な人に、必要なだけ配分するための仕組みであることを忘れてはならない。
人は金儲けのために働いているわけではない。経済の目的は金儲けにあるわけではない。金儲けは手段に過ぎないのである。

会計上の陰陽の働きは、名目勘定と実質勘定の動きとして表される。名目勘定と実質勘定の動きは、全体の増減と各要素の配分の変動の働きに還元できる。
故に、比率がカギを握っているのである。

つまり、資産と費用の配分と負債、純資産、収益の配分と総量の増減運動によって資金をいかに回すかが経営の課題なのである。例えば、資産の増加は、他の資産の減少、負債の増加、純資産の増加、収益の発生のいずれかを意味している。

注意すべき点は、資産と費用が実物、負債と収益が貨幣価値として表されるのに対し、利益と純資産は、差額勘定で実体があるわけではない。この点が重要なのである。

複式簿記は取引の陰陽を表している。
取引は、借方と貸方に仕分けられる。借方は陰で、貸方は陽に位置する。
貸借取引から債権と債務が生じる。債権は陽で、債務は陰である。

重要な事は、市場全体の貨幣的価値の総計は、零和だという事である。
貨幣価値の総計が零和だという事は、赤字が是か非かではなく。どの部門が赤字主体で、どの部門が黒字主体かです。

貨幣は陰の力を発揮する。
陰の力が市場に満ちると陽の力が抑えられ、陰陽の均衡が破られ、陰の力が相対的に弱まる。通貨の本質は、借金だという事を忘れてはならない。
貸し借りは市場全体では、零和である。貸す者がいて借金は、成り立ち。借りる者がいて借金は成り立つ。要するに、貸し借りは所得の過不足があとって成り立っている。過不足の所在が硬直すれば、この関係はおのずと成り立たなくなるのである。
故に、経済の本質は、中庸にある。

国民経済計算は、国民所得勘定、投入産出表、資金循環勘定、国際収支勘定、国民貸借対照表の五つの表から構成される。

国民所得勘定の目的は、粗付加価値を算出し、粗付加価値の分配、消費、蓄積を明らかにすることである。

部門ごとの収支を明らかにするためには、収支の全体を把握する必要がある。
収支は基本的に以下の式が成り立つ。
投資+消費+貯蓄+借金の返済=支出
資産の売却+所得+借入金+過去の蓄積の取り崩し=収入
収入と支出は常に一致している。収入と支出の総研は、零和である。

それに対して国民経済計算書は単位期間内の所得を核として損益計算されている。
即ち、単位期間内の損益は、所得=消費+蓄積である。
損益の総計も零和である。
以上の事を前提として個々の部門の陰陽を明らかにする必要がある。

国民経済計算の単位には、個人単位、制度単位、部門単位等がある。
国民経済計算の単位は、金融法人、非金融法人、一般政府、家計、対家計民間非営利団体の五つの部門に海外部門を足した六つの部門を設定している。

ここでは、基本的には、対家計民間非営利機関は、公共機関に準ずるとして国に含め、国の経済を動かす主体には、国、会社、家、金融、外国の五つを想定する。
国は、財政を担い、会社は、会計を担い、家は、家計を担い、外国は交易を担う。

木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず。(五行相生)
水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ。(五行相剋)

経済の主体は、政府、金融、企業、家、海外の五つからなる。
これらの要素はお互いに影響しあって全体を成立させている。
市場の総量は、垂直方向にも、水平方向にも零和であるから、五つの働きの総和、収支の総和も水平方向にも垂直方向にも零和となる。

各部門の単位期間の陰陽は、一般政府、金融法人、非金融法人、家計部門、海外部門各々の第一次所得配分の増減によって判定される。
各部門の総体の陰陽は、総支出(投資+消費+貯蓄+借金の返済=支出)総収入(資産の売却+所得+借入金+過去の蓄積の取り崩し=収入)の増減によって判定される。
投資は、固定資産、資本形成の増減を意味する。

各部門の陰陽の卦は、国内の相、政府、家計、企業の三つの陰陽の組み合わせで八卦となり、それに、海外部門の陰陽を組み合わさる。金融は、経常収支と表裏の関係にある。
世界経済は、この十六の卦を組み合わせる事で全体は成り立っている。
特定の国が常に陰であるとか、常に陽であるというような強い傾向があると全体に歪が蓄積され。最終的には均衡が破られてしまう。
経済の本質は中庸にある。

そして、各部門の陰陽の変易、変換をどう調整するかを裁定するのが政治である。

2008 2009 2010 2011 2012 2013
政府
金融
企業
家計
海外
GDP 

金融機関の預貸率は年々悪化し、信用金庫は50%を切るまでに至っている。
また国際経常収支も悪化をしている。
企業の蓄積がバブル崩壊後上昇しており、それが、財政を圧迫していると考えられる。
赤字がいいとか、悪いとかの問題ではなく、バランスの問題だと言う点に気が付かなければ、歪は拡大し続ける事になる。
どの部門の資金が不足し、どの部門に資金が蓄積されているか、そして、その蓄積がフローにどのような影響を及ぼしているかの問題である。
問題は硬直的で偏っていて、その歪みが拡大しているという事なのである。

問題なのは、何でもかんでも赤字は悪いとか、黒字なければならないと思い込んでいる事である。
全体がゼロ和であるならば、黒字の主体があれば自動的に赤字の主体が派生するのである。問題は、程度であり、また一過性か、恒常的かなのである。
強引に黒字を維持しようとすれば、あるいは、全員が黒字にしようとすれば必然的に緊張が高まり、経済の仕組み全体を危うくしてしまう。
黒字か、赤字かというのは部分の問題であって全体から見れば過不足の問題なのである。

表面的には、所得の配分は、消費と貯蓄に振り分けられると考えられている。
しかし、現実の支出は、消費+貯蓄+借入金に対する返済である。そして、消費、貯蓄、借入金の返済の和が所得を上回った場合、上回った部分が新たな借入金、即ち、運転資本となる。そして、消費、貯蓄、借入金の返済額と所得の関係が景気の実際を決めるのである。

市場経済は、人、物、金によって構成される。
故に、市場の実相を知るためには、人、物、金の働き、状態を明らかにする必要がある。

 
(個人 生産 支出
労働 (制度単位 蓄積
所得 消費 (市場)

制度単位は、金融法人、非金融法人、一般政府、家計、対家計民間非営利団体、そして、海外部門を指して言う。
人は、物の生産に対して労働という生産手段を提供し、所得を得る。物は、労働によって生産され、市場を経由して消費される。金は、支出によって市場に供出、分配を仲介する。
所得は、人件費であり、生活費でもある。
消費と生産は、需要と供給の基となり、財の市場流通量を制約する。通貨の流量によって支出と分配は制御される。財の価格、物価は、財の需給と通貨の流量によって裁定される。
物は、労働によって生産され、金の支出によって配られる。
人は、所得を得て必要な物を市場から手に入れる。
金は、働きに応じて人に配られ、物の分配を仲介し、価値を蓄積する。

人の働きの基盤は、人口構成に現れ、物の働きの基盤は、生産に現れ、金の働きの基盤は、通貨の量と流れに現れる。
故に、市場全体の相は、下爻に生産、中爻に人口、上爻に利益として表す事ができる。

政府、金融、企業、家計、外国も、人、物、金によって構成されている。

そして、政府、金融、企業、家計、外国は、「お金の流れ」によって結ばれている。

「お金の流れ」は、貸し借り、売り買い、所得と支出と貯蓄によって促される。
中央政府が金融に金を貸し、金融機関が企業に金を貸し、企業が家計に所得として金を支払い、家計が物を市場から買う。足りない物資を外国から調達する。

「お金」の流れは、政府が国債を発行し、国債を担保として中央銀行が、金融機関に「お金」を貸し出し、金融機関が企業に貸し出す事で市場に供給され、供給された資金に基づいて企業から賃金として家計に支払われ、消費されることによって交易が生じる。交易によって「お金」の価値は定まる。また、外貨準備として政府に蓄えられる。

お金の流れに沿って土を政府、金を金融、水を企業、木を家計、火を外国とする。

政府の働きは、分配、金融の働きは、貯蔵、企業の働きは、生産、家計の働きは、消費、海外の働きは、交易に象徴される。

お金の流れは、物の流れを生み出し、人々に対する分配を実現する。

物の流れは、企業は、物を生産し、家計は、物を消費する。海外は、物を交換し、金融は物の流れを促す。財政は、物の分配の基礎を作る。
その局面局面で人は働き報酬を受ける。

人の世を治める力の性格には、仁、義、礼、知、信の五徳がある。

土は信、金は義、水は智、木は、仁、火は礼。
政府は信によって立ち、金融は、義で保たれ、企業は、智で継続し、家は仁で栄え、貿易は礼を重んじる。

また、内を支える力として忠、信、孝、悌に義がある。

土は忠、金は信、水は義、木は孝、火は悌である。
政府は忠によって立ち、金融は信によって立ち、企業は義によって立ち、家は、孝によって立ち、貿易は、悌によって立つ。

「お金」は、循環してその効用を発揮する。
水が高きから低きに流れるように、過剰なところから、不足しているところに金は流れる。

過剰な部分は、不足した部分を補うように働き、不足した部分は、余剰部分を吸収するように働くと全体は一となる。
過剰な部分が不足した部分から「お金」を吸い上げたり、不足した部分が過剰なところを補うようにすると全体は統一性を失い、分裂する。
市場全体の経済量は、零和なのである。

「お金」を循環させるのは、空間の歪である。
「お金」を偏らせるのも空間の歪である。
「お金の流れ」を作るのは、空間の歪だが、その歪みを放置すると「お金の流れ」に偏りが生じる。
「お金の流れ」の偏りは、滞留を生み、「お金の流れ」を悪くする。

「お金」は負、即ち、陰の力を持ち、陰で働く。
貨幣経済が、活発化すると陰の力が強まる。

国民所得勘定を構成するのは、経常勘定、蓄積勘定、バランシート、その他の勘定である。
国民所得勘定は、生産、所得、分配、消費、蓄積という段階を経て集計されていく。
経常勘定を構成するのは、生産勘定、所得の第一次分配勘定、所得の第二次分配、現物所得の再分配勘定、所得の使用勘定である。

粗付加価値は、雇用者報酬、生産・輸入に関する経常税、補助金、固定資産減耗に分配される。

これらは、会計から見ると地代・家賃、所得、利益、減価償却費に相当する。
複式簿記では固定資産減耗は減価償却費に相当する。

所得は、消費と蓄積の和であり。蓄積は、投資と貯蓄となる。
投資と貯蓄によって、資産と負債、資本を形成される。
そして、負債と資本は、金融勘定と資本勘定に振り分けられという事である。

蓄積は、貯蓄と資本移転を意味する。
蓄積は、資産と負債、資本として累積する。

投資というのは、資本形成に現れる。
投資は、投資キャッシュフローを陰に固定資産と収益、負債を陽とする。固定資産は陽に位置し、収益と負債は陰に位置するから、固定資産は、位に当たり、正当であり、収益と負債は、不正である。

余剰資金は、貸し借りによって負債に蓄積される。
貸し借りは、全体として零和になるから、貸し借りの主体が入れ替わらないと負債は、一方的に蓄積され増加の一途をたどることになる。

それは、資産、負債、資本のストックを増大させる。
資産、負債、資本は、地代、家賃、利息、利益、償却費の分母となる。資産、負債、資本が増大すれば、分子である地代、家賃、利息、利益、償却費を圧迫する。収益が伸びず、あるいは、減少に転ずれば、利息や利益は圧迫される。

また、借金の元本は収入の範囲で返済していく。
収入は、一つは、所得である。二つ目は、貯蓄の取り崩し。三番目に、資産を売却する。そして、四番目に、借金である。四番目の借金とは借り換えを意味する。
一般に、借金は、所得の範囲内で返済をしていく。
返済額が上昇するとそれだけ収益の中で自由できる資金、即ち、可処分所得が減っていく。
収益の範囲の中で返済ができなくなると返済は、過去の蓄積か新たな借金、所得によって賄われる。それでも足りなければ、資産を処分することになる。

易は窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し。

貸し借りの主体が交互に循環しないと市場の歪は拡大し、やがて市場そのものを破壊してしまう。

市場を安定させるためには、資金の流れを把握し、貸し借りの主体を定期的に変換できるように調整するのが政治である。

可処分所得は公的資支出と金融支出を所得から差し引いたものである。
ただ問題なのは、会計以上、金融的支出が認識されていない点にある。即ち、負債の返済資金が会計上どこにも計上されないと事である。

企業会計では、負債の返済資金は、償却費の形で確保されるが、実際の資金計画との間には時間的ズレが生じる。

重要となるのは、収入に占める借金の金利を含めた返済額が一定の限度を超えると新たな借り入れができなくなる。これは、社会全体でも同様である。

債権と債務の残高の水準がどの程度まで上昇しているか、それに対して所得の水準がどの程度なのかそれが経済政策を建てるうえで重要なカギとなる。

収入に占める金融支出を正確に把握していないと経済全体にブレーキがかかる事になる。
最悪の場合経済を破綻させてしまう。

現代社会では、対立、抗争、競争、緊張、成長、拡大、強化のみを是とするが、これでは世の中は、回らなくなる。
太極経済では、対立、抗争、競争、緊張、成長、拡大、強化を陽の働きとして、調和、協調、提携、緩和、縮小、抑制を陰の働きとする。

効き目があれば弊害もある。良いところもあれば、悪いところもある。長所もあれば、欠点もある。陽もあれば、陰もある。
政策も万能薬なんてない。規制緩和も競争も絶対的原理ではない。先ずどのような症状、状態かを確認する事である。
処方は、診断書に基づいてなされるべきであり、根拠もなく、状況や前提を確認せずに、何でもかんでも一律に対処しようとするのは、それは、一種の呪術であって科学的だとは言えない。
今の経済学者の中には、呪術師みたいな者が紛れ込んでいる。

進むだけが能ではない。時に退く事も必要である。
拡大、成長のみが是なのではない。縮小、成熟も、また、吉である。

身を縮めるのは、躍動するために。
飛躍するためには、身を縮める必要がある。
何が是か非かは時に中るの。

日は昇り、また、沈む。日は沈み、また、昇る。

吉凶とは、貞(てい)にして勝つ者なり。天地の道は、貞にして観(しめ)す者なり。日月の道は、貞にして明らかなる者なり。天下の動は、かの一に貞なる者なり。
吉凶とは、正しくしてまさるものである。天地の道は、正しくして示すものである。日月の道は、正しくして明るいものである。天下の動きは、吉凶と同じく正しいものである。

現代社会は、白日の文明である。すなわち、陽の力を絶対化する思想に支配されている。しかし、陽の力が絶対的になると文明は砂漠化する。
陽の力は、陰の力があってはじめて本来の力を発揮する。
陽の力は善で陰の力は悪だと決めつけるのは間違いである。
陰陽の力が相和して全体の働きを保っているのである。
物事は、表に現れない陰の力によって調和が保たれている事を忘れてはならない。

世の中は、陽の部分だけではない。
世の中の争いは、陰の働きによると考えるのは間違いである。むしろ、陰の働きによって争いが封じ込められている場合もある。

物事には、変易、不易、簡易がある。
力が偏れば、市場の働きは乱れ、経済は変調する。
経済の働きは、相対的なのである。





まず、財政、金融、企業、家計、外国の陰陽を明らかにする。
財政、金融、企業、家計、外国には、フローとストックの陰陽がある。
フローは収支に基づき、ストックは残高に基づく。フローとストックの関係、量から強弱は測られる。

経済の卦は、フローから見ると初爻に財政収支、二爻に金利、三爻に営業余剰の増減、四爻に、雇用者所得の増減、五爻に経常収支、上爻に国民総生産の増減とする。
以上のように設定した場合、市場全体はゼロ和であるから、乾為天、坤為地の卦は顕現しない。

又は、初爻に税率の増減、二爻に、金利の増減、三爻に、利益の増減、四爻に、雇用者所得の増減、五爻に、経常収支の増減、上爻に、物価の増減と設定する見方もある。

表に現れる卦の相は、千変万化、目まぐるしく変化し、一所に定まる事はない。
個々の働きが膠着すれば市場は偏り、正常な働きができなくなる。公正な分配もできなくなる。
「お金」が循環する事によって市場の統一性は保たれる。「お金」が、円滑に循環しなくなると経済体制は維持できなくなる。

財政が常に強い事を是とはしない。金融が常に強い事を是とはしない。企業が常に強い事を是とはしない。家計が常に強い事を是とはしない。外国が常に強い事を是とはしない。
互いにけん制しあい、力関係が変化する事によって全体の調和は保たれているのである。
弱きを助け、足らざるを補うから経済は成り立っている。強い事が善ではないように、弱い事は悪ではない。余りある者は不足する者を助け、不足する者は、余りある者から吸収する。それこそが経済本来の在り様である。
富む者は、貧しきものを、貧しき者は富む者を、助け合い、支えあうからこそ社会は繫栄するのである。

財政、金融、企業、家計、外国の陰陽が、相生、相剋、比和、相悔、相乗の関係を生み出す。

相剋、比和、相悔、相乗の関係を木と土の関係を例にとると以下のようになる。

木と土の関係は、第一に、木が陰、土が陽、第二に、木が陽、土が陰、第三に、木と土ともに陽、第四に、木と土ともに陰の四つの象がある。この四つの象が下地となって木と土の力関係は形作られられる。

木剋土(もっこくど)。木は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせる。
土侮木。土が強すぎると、木の克制を受け付けず、逆に土が木を侮る。
木虚土侮。木自身が弱いため、土を克制することができず、逆に土が木を侮る。
土虚木乗。土自身が弱いため、木剋土の力が相対的に強まって、土がさらに弱められること。

木を国民、土を政府とする。
木克土は、国民の力が財政を圧迫し、財政を悪化させる状態を意味する。
土悔木は、政府が強すぎると国民の制約を受けずに政府が国民を侮るようになる。
木虚土侮は、国民の力が弱すぎると圧政を抑えられなくなり独裁的になる。
土虚木乗は、政府の力が弱体する事で、国民の力を抑えられずにさらに政府の力が弱まる。

名は不易。実は変易。差は、力となり簡易。
例えば、会計上、土地の簿価は、不易。時価は、変易。簿価と時価の差は、資金の調達力を示す。

損益は、人から資金を借りて資産に投じ、資産は費用に変じ、費用が収益を生んで、利益となり。利益は資本となる。
損益は、負債が金、資産が水、費用が木、収益が火、資本を土とする。

決算書類は、貨幣価値を表したもので、貨幣価値は陰である。
物の出納は陽である。ちなみに、簿記上では、借り方に属する資産・費用は陽位。貸し方に属する負債・資本・収益は陰位である。

爻や象は易の中で動いて外に現われていず、吉凶の断により外に現われ、功績は変化によって現われ、聖人の気持ちは卦爻辞に現れる。
爻象は内に動いて、吉凶は外に見(あら)われ、功業は変に見(あら)われ、聖人の情は辞に見(あら)わる。

石油・石炭業界の2008年の卦は、地山謙、即ち、上坤、下艮の卦である。出光は、2013年が地山謙の相である。
これは、外が最悪の相で、内が最良の卦と言っていい。


2008 2009 2010 2011 2012 2013
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15.地山謙

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21.火雷噬嗑


41.山沢損


10.天沢履
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19.地沢臨
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61.風沢中孚

利益の減少は、売上総利益の減少か、費用の増加を意味する。売上総利益の減少の原因には、原価の上昇がある。費用の増加は、損益分岐点の移動が考えられる。
収益の減少は、売上の減少を意味する。売り上げは、単価と数量の積である。すなわち、単価が下がったか、数量が減ったか、その両方が考えられる。
総資産の減少の原因は、流動資産の減少か、固定資産の減少が考えられる。総資産の減少は、総資本の減少を意味し、総資本の減少は、負債の減少か、純資産の減少。負債の減少は、流動負債の減少、固定負債の減少のいずれか、あるいは両方の減少である。
営業キャッシュフローの増加は、減価償却費の減少、運転資本の減少、支払利息の減少が考えられ。また、税引き前利益のの上昇も考えられる。税引き前利益の上昇は、特別利益を計上する事で得られる。
運転資本は、売上債権の減少、在庫の軽減、買い入れ債務の上昇が考えられる。在庫は、仕入れ単価の低下か在庫量の減少による。
投資キャッシュフローの減少は、固定資産の増加か、投資有価証券の増加として現れる。これらは、資産勘定だから損益上には現れてこない。
財務キャッシュフローの減少は、基本的には、借金・負債の返済を意味する。負債の減少は、流動負債の減少なのか、固定負債の減少なのかが問題となり、流動負債は、短期借入金の返済なのか、買い入れ債務の減少なのかが重要となる。

地山謙のキャッシュフローの相は艮である。艮の錯卦は、震である。
また、営業キャッシュフローか陰になれば坤となる相でもある。

石油・石炭業界のキャッシュフローは、2010年から2014年まで兌である。兌は、キャッシュフロー上危うい相である。

現代経済の最大の間違いは、成長と拡大、発展のみを是としている点にある。
気を付けなければならないのは、成長と拡大は必ずも一体ではないという事である。
経済が成長している時でも、市場が拡大しているとは限らない。

例えば、個人所得と物量との関係である。多くの物を手に入れるためには、多くの所得を必要とする。財の生産量を上回る所得が必要となる。しかし、財を生産するためには、相応の費用が必要となる。費用の大部分を占めるのは人件費である。財の生産量を増加しようとすると人件費の高騰を招く。
人件費とは、個人所得である。つまり、多くの財を得ようとすると所得を必要とし、所得は財の価格を引き上げるのである。これでは鼬ごっこになる。
市場の拡大と所得の上昇が調和していればいいが、仮に財の需要が減少するとそれまで所得を上昇してきた圧力が下げ圧力に転換してしまう。
これを解消するためには、生産手段を合理化する以外にないが、それは人件費の削減につながるのである。つまり、拡大だけ目指しても経済成長は維持できないのである。
市場の拡大は、総所得の上昇が伴わなければ、維持できない。総所得は、生産人口と平均賃金の積である。総所得の上昇を維持しようとした場合、生産人口の増加を計る、平均賃金を上昇させるしかない。生産人口が減少に向かった時、平均賃金を上昇させなければならないが、それに応じて生産性も高めなければならない。これジレンマである。
だとしたら、人口が減少し、市場が縮小しても維持できる経済体制にする必要がある。
そのために求められるのは、量から質への転換なのである。そして、それを可能ならしめるのは、付加価値の均衡を保つ事なのである。
要は、付加価値の問題に還元するのである。
付加価値とは何か。付加価値とは、地代、家賃、減価償却、人件費、金利、税、利益の和である。これは粗利益を指す事もある。
減価償却費と地代家賃は、資本を表し、人件費は、家計、金利は金融、税は、政府、利益は、企業を代表する。
家計、金融、政府、企業に対する力の配分、「お金」の循環が経済を動かしているのである。

五行とは、政府、金融、企業、家計、海外の力の均衡を調和させることを目的としているのである。

現代社会は、事業経営者の意見を軽んじすぎる。それは、商業を疎かにしてきたことに由来する。

中国が力を発揮できないのは、中国人としてのアイデンティティが確立できないからである。中国人としてのアイデンティティは、反日ではなく。中国人自身に求めらるべきである。
反日によって中国人のアイデンティティを謀る事は、それ自体、中国人を卑しめてしまう。
中国人は誇り高いのである。肝心なのは、中国人の魂である。
それは、中国の歴史にこそある。

易の本源は、三皇五帝にある。
易は、中国の深淵から発する。

太極は、中。

天は唯一であり、絶対である。
神も唯一であり、絶対である。

西は神を信じ、東は、天を敬う。

太極は天にある。太極は神にある。
天と神とは合一である。
天と神が和して東西南北一体となる。



参照
北海道のコンビニの業界に関する 株式会社セコマ 赤尾昭彦会長談
550万人ほどの人口に対して、業界全体で約3000店あります。1店当たり1800人程度の計算になります。新規出店すると、自社の既存店と顧客を食い合う段階まで来ました。これ以上は下手に店を出せない状況です。
日経ビジネス 2015年12月21日(月)


续太极经济




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