物   価



人件費は、単なる費用ではない。
人件費は、所得であり、支出であり、評価でもある。
生活費の基でもあり、自己実現の資源でも、人件費の有り様は、文化を形作りもする。道徳を担保する事でもある。
人件費を単なる費用と見なしたら、そこから経済の堕落が始まる。

経済は、生きる為の資源を生産し、或いは、調達して、共同体の構成員に分配する事である。お金を儲けたり、利益を上げる事が目的なのではない。お金儲けや、利益を上げる為に、殺し合ったり、争う事は、本義ではない。
ただ、貨幣経済下では分業が進んで、一つの共同体だけでは、生きる為に必要な資源をすべて生産調達する事が不可能になった。その為に、お金は、生きる為に、不可欠な道具となったのである。
また、貨幣経済下では、全ての生産物は換金する事が求められる。なぜならば、税をお金で支払う事が求められるからである。故に、生活をしていく為には、お金は必需品となったのである。

物価は、貨幣経済によって成立する。つまり、貨幣経済が確立されていない段階では物価は、余り意味がない。なぜならば、貨幣経済が浸透していない時点では、物価が表せるのは経済現象のごく一部だからである。

貨幣の性格は、金を考えると明確となる。なぜ金は、貨幣の単位となったのか。先ず第一に、金は、希少な物質だと言う事である。なぜ希少品でなければならないかというと貨幣は、価値を制限する必要があるからである。つまり、貨幣が効用を発揮する為には、貨幣の流量を一定の量に制限する必要がある事を意味する。通貨量は有限でなければならない。
第二に、金は消費財ではない。つまり、生きていく上で不可欠な素材ではないという点である。ここにもお金の性格がある。貨幣は消費に使われるのではない。貨幣というのは、それ自体は無用な物なのである。使い道のない無用な物だから貨幣としての働きができる。
第三に、金は、価値を保存できる。つまり、価値を貯蔵できる。金は、消費されないのである。
第四に、金は、素材を純化し、一定の量に小分けする事で価値を抽出できるという点である。貨幣も単位を物として価値を細分化できる物でなければならない。ただし現在は、物としての価値が抽象化され、情報化されている。
この様な金の在り方を見ると貨幣のの性格の原形が明らかになる。

貨幣経済では、第一にお金の分配の仕組みが確立されている。第二に、お金を循環させる仕組みがある。第三に、お金の供給と回収する仕組みができているという事が前提となる。
その上で、物の貨幣価値をどの様に、どの様な場所で確定するかが決まっていなければ物価は定まらない。

これらの仕組みに基づいてお金は、お金と物との交換によって生活に資源を分配する。物の貨幣価値を定める。資源を受け取る権利を留保するといった働きが成立するのである。

金が物の価値を決めるわけではない。金の価値によって物の価値が左右されるべきではない。物の価値は、市場の要請によって定まるべきなのである。市場の要請は、需要と供給によって形成される。需要と供給は、個人の働きと所得と成果の関係による。どれくらい働いたら、どれくらいの収入が望めて、とれくらいの物を手に入れる事ができるのか。それを個人と社会全体との関係から割り出す事を可能とする為の仕組みが本来、経済の仕組みのあるべき姿なのである。価格が貨幣の都合によって乱高下する状態が問題なのである。

我々は、貨幣経済体制下で生きている。だから、お金が絶対であり、お金が価値を確定しているように錯覚している。しかし、お金は手段に過ぎない。お金に価値があるのではなく。生きる為に必要な資源そのものに、つまり、お金によって取引されている物に価値があるのである。

企業の目的は利益にあると言ってはばからない経営者が横行している。しかし、利益は、経済を円滑に運用させる為の指標に過ぎない。利益を上げる事を目的とした結果、多くの人が働く場を失ったり、生産が過剰になったり、乱開発によって環境が破壊され人間が住めなくなったらそれは利益の有り様が間違っているのである。経済の仕組みは利益をあげる為にあるのではなく。人々が安心して生きる為にあるのである。





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