財政赤字


EUの根本理念は、平和は、経済的均衡の上に成り立っているという事である。これを忘れてはならない。

戦後、ヨーロッパや日本はゼロから再出発した。故に、終戦後、一定期間投資が続いた。それが経済成長を促したのである。
市場が過飽和状態になり、実物投資が一服した事で市場は拡大均衡から縮小均衡へと転じた。
ところが、未だに拡大均衡型の経済施策が続いている為に、経済は行き詰まっている。

高度成長が終わり投資が一服し、市場が飽和状態になった時、損益上の減価償却が終わった設備の中には、借金の返済が終わっていない資産が多く含まれている場合がある。その結果、費用として計上されない支出が派生する。それは損益上は利益が上がっているように見えてキャッシュフロー上では表に現れない支出が生じていることを意味する。それが、一斉に生じると経済主体の資金繰りを悪くするのである。

このような状況は家計や財政では固定的支出が増加して可処分所得の割合が低下している状態としても現れるのである。
売買取引より貸借取引の割合が大きくなることでもある。つまり、見かけ上は、お金が余っているように見えても、実際に市場に流れているお金が不足している状態に陥っているのである。その為に全体としての実質的総所得が伸び悩む。

財政赤字を産み出しているのは、この様な経済構造にある。

財政赤字、財政赤字と言うが、現金収支はゼロサムだとしたら赤字主体があるという事は、黒字主体がある事を意味している。この場合、気を付けるべきなのは、赤字というのは、期間損益上の赤字という意味ではなく。現金収入の不足を意味していることである。期間損益上の赤字というのは、費用が収益を上回った状態を言う。収益と費用はゼロサムではない。故に、赤字主体があれば黒字主体があるとは言えないのである。
財政が赤字と言う事は、民間部門か、海外部門のいずれかが、黒字と言う事である。民間も財政も赤字で、海外部門だけが黒字というのは、考えられないことはないが、それは、過去の資産を食いつぶしているとか、余程資源に恵まれていないかぎり、長続きはしない。大体が、財政が赤字で民間が黒字という形になる。

その典型が日本経済である。日本経済は、1990年、バブル崩壊後、地価の下落によって担保不足に陥り、外部資金の調達の手段が断たれた。その結果、内部資金の範囲内で経営する事を余儀なくさせられた。それは支出を抑制し、負債を圧縮する事を意味する。それは縮小均衡策である。全ての企業が縮小均衡策を採用した結果、民間は、資金余剰、即ち、現金収支上は黒字となったが、財政は資金不足に陥り、所得、市場は縮小したのである。
この事は、日本銀行が作成している「資金循環表」、財務省が出している「法人企業統計」、内閣府の「国民経済計算書」、そして、国税庁の「会社標本調査結果」を分析すると数値として明確に現れる。
考えようによっては、日本の財政赤字は、民間の黒字化を追求した結果だとも言える。民間が黒字化すればするほど財政や経常収支は赤字化したのである。
民間部門が黒字だと言う事になると民間部門の景気がいいように思えるが実際はそうとは限らない。その点が問題となるのである。民間が黒字化になるといっても、民間の収入、所得が増えるとは限らない。逆に、支出を削減することでも収支を黒字化することは可能なのである。しかし、その場合、全体としての収益、所得は減少する。それに、民間が黒字化すると言ってもキャッシュフローが良くなるという事を意味しているわけではない。

貨幣経済は、貨幣の循環運動によって成り立っている。財政赤字も貨幣の循環過程で形成される。物価は、働きと所得と成果の均衡によって定まる。働きは力、所得は支出、成果は、需要と供給を産み出す。

資金は、物とお金の交換とお金の過不足を補おうとする働きによって循環する。利益や損失は、その過程で生じる指標であってそれ自体がお金を循環させる働きがあるわけではない。経営の目的は、利益を上げる事ではない。資金を循環し、収入と支出を調節する事で、適正な分配を介して生産と消費を制御する事である。利益は、資金の循環状態を監視する為の指標に過ぎないのである。

資金の過不足を補うのは、貸し借りである。
一方的に赤字や黒字か累積すると均衡が破れ貸し借りができなくなり、資金の循環が滞る事になる。
通常の取引で是正できない所得の偏りを是正するのが所得の強制的な再配分、即ち、税である。

問題は、何処が赤字を引き受けるかである。それは、赤字になるのではなく。赤字にするのである。そして、黒字の主体は、赤字の主体にお金を貸さなければ資金の循環は止まる。
そう考えると、一極集中でないEUには選択肢が多くあるのである。

貨幣経済で大切なのは、生産の問題ではなくお金を如何に循環させるかの問題である。それは、赤字化、黒字化の問題ではなく、均衡の問題であり、所得の問題である。如何に所得を適正に配分するかの問題である。
赤字だとしたらその赤字をいかに何処に付け替えるかの問題であり、是非善悪の問題ではない。経済は均衡が大事なのである。
黒字が良くて、赤字か悪いというのは、お門違いである。赤字黒字の是非は、全体と部分との関係によって判断されるべき事である。

赤字の経済主体があるという事は、黒字主体があるという事である。財政が赤字だと言う事は、概ね、民間が黒字だと言う事である。財政を黒字化しようとしたら、民間の現金収支を赤字にするしかない。民間の現金収支を赤字にするという事は、未完投資を活性化するやり方が健全な経済状態を創り出すのである。単に民間の収益を強奪するやり方では経済の活性化は計れない。

財政が赤字化する一因は、財政が現金主義に則っているのに、家計と違って貯蓄が許されていない点にもある。つまり、赤字の原因の一つは、単年度均衡主義にある。貸し借りによる長期的な均衡が許されなければ、ゼロに均衡する。それがゼロサムである。単年度均衡主義である。
しかも営利事業が許されなければ、蓄えをする事ができずに現金不足を解消する手段がなくなる。一度現金が不足すれば、蓄えがないから清算することもできなくなる。
また事前に予算が決められてその範囲内での運用しか許されなければ、予算が余れば、予算を使い切り、予算が足りなくなれば、どこからか短期的にお金を借りてきて補う事になるから、そのお金が返せなくなり、財政は慢性的な赤字に陥る事になる。

民間企業は、短期的に赤字でも長期的に均衡すればいいという考えに立ち、期間損益を計算する。
財政赤字を解消する為には、民間を赤字にして財政の赤字を付け替える以外にないのである。その民間を赤字にする手段は、期間損益主義を導入して長期均衡を計ると言う視点に立ち返る以外にないのである。財政赤字が悪いというのならば・・・。

経済を考える時、私は、強い神の意志を感じる。神は、人々が協力し合わなければ経済が成り立たないような仕組んでおられるからである。





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