エントロピー



経済的事象は、熱力学的現象野党系力学的現象に似ている。
要は、エントロピーの問題である。

経済というのは、人工の産物であるという前提を忘れてはならない。
経済は人為的な差によって動かされている。
畑は、何も手入れもせずに放置すれば自然状態にすぐに戻っていく。
市場も同じである。何もせずに放置すれば無秩序な状態に戻る。
それがエントロピーが増大するという事である。
閉じた系で不可逆的過程が生じると必ずエントロピーは増大する。
閉じた系における不可逆的過程は、エントロピーが増大するように進行する。

開かれた系によって可逆的な過程を導入しないと市場のエントロピーは増加するように進行する。

貨幣経済では、名目的価値が基礎となる。
故に、貨幣経済では、負債が経済の前提を設定する。
貨幣経済は、初期投資によって前提が設定される。
初期投資額と減価償却費は名目的に最初に設定される。
故に、初期投資は、経済の前提となる。
初期投資額は、一定期間内に一定量を売り上げる事を前提として設定されてしまう。
それは予め名目的支出が決められてしまう事になる。
名目的支出は資金計画に反映される。反対に実質的収入は、推測の域を出ない。

投資が一巡した時から、収益は減少していく。経済的事象が不可逆的である限りエントロピーは増大する。

経済を動かしているのは、現金の流れである。
市場経済の仕組みは、現金が流れる事で動くように設定されている。
故に、経済の仕組みを構成する個々の主体は、一定の現金を所有している事が前提となる。
即ち、現金残高を正の自然数に保つ事が前提となる。
また同時に個々の主体は放置すれば、常に、資金不足に陥るような仕組みになっている。故に、個々の主体は絶えず資金を調達し、供給しなければならない仕組みになっている。

もう一つの前提は、市場経済には、期間損益主義に基づく基準と現金主義に基づく基準の二つが存在する。

現金主義は、実体的問題であるのに対し、期間損益は認識の問題である。
故に、現金の流れや残高は現実であるのに対し、利益は、想定上の結果である。

外部取引は対称取引である。内部取引は、非対称取引である。
外部取引の対称性と内部取引の非対称性が利益を生み出す。

内部取引の非対称性は時間価値による。
時間価値は付加価値を形成する。
付加価値は費用の根源である。

我々は、利益に騙されているのである。
市場を動かす原理は、従来教えられてきた事より、ずっと単純で、簡単な事である。

インフレーションもデフレーションも経済の問題は、貨幣経済下では貨幣の振る舞いによって引き起こされているのである。
そして、経済の問題を突き詰めていくと、現金の過不足をどう解消するかに要約されるのである。
資金の過不足はどの様にして生じるのか。資金の動きを制約するのは、資金の必要性、資金の運用、資金の調達手段である。

必要性は、必要資金を考えれば解る。必要資金は、第一に、運転資金、第二に、返済資金、第三に、新規投資資金、第四に、更新投資資金の四つがある。
調達手段には、第一に、収益的手段、第二に、負債的手段、第三に、資本的手段がある。資本的手段の中には、資産の売却と言った資産の資金化も含まれる。
支出的手段は、第一に、消費、第二に、借金の返済、第三に、投資、第四に、税などの公的支出、第五に、現預金である。

経済主体の多くは、慢性的に資金不足の状態に置かれている。故に、収入が途絶えるとすぐに経済的に破綻してしまう。

短期的に見ると資金の過不足は、収益的手段によって調節されるべきだが長期的に見た場合、資本的手段と、負債的手段である。
故に、長期的資金の働きの基調となるのは、長期借り入り金の返済計画、資金計画である。ところが、この長期的資金の動きが現在の仕組みでは顕在化して居らず潜在的働きな為、直接的に制御する事を難しくしている。
経常的収入だけに頼っていたら長期借入金の返済と期間収入との間に差が生じ、資金不足を引き起こす。
資金の過不足の基調を知る為には、長期的資金の構造を明らかにしておく必要があるのである。

資金の過不足の要因は、現金残高を正の自然数に保つ事を前提として長期借入金の元本の返済と損益とを比較すると判る。

資金不足は、最初、返済資金不足、および、運転資金不足として現れる。運転資金不足は短期資金の不足であり、長期資金の元本の返済資金不足である。
故に、根本的資金不足は元本の返済資金を基礎として考えれば解る。ところが長期資金の返済は表に現れない。

長期借入金の返済資金は、収益的手段、資本的手段、負債的手段によって調達される。
資金調達は、資本的手段や負債的手段は、補助的手段であり、最終的には、収益的手段を主として賄われる事を前提としている。

収益は、費用と利益からなる。
収益は、単価に分割できる。単価は、変動費と固定費からなる。
固定は、一般管理費、製造経費、人件費からなる。

大量生産方式では固定費は限りなくゼロに近づいていく。

収益では、返済資金は、減価償却費と利益によってまかなわれる。減価償却費と利益を足しても不足する場合は、資本的手段か負債的手段を用いる事になる。負債的手段を講じると負債は増大する。

無原則な競争に委ねると価格は、人件費、製造経費、一般管理費の順で削減され、限りなく変動費、追加費用に収斂する。

価格が変動費に収斂してしまうと収益が付加価値を生まない状態になる。この様な状態に陥ると付加価値が増えずに債務だけが増加する。付加価値が増えずに債務だけが増える状態は、勤労所得から資本所得へ所得の主軸が移行することを意味する。

見かけ上の費用を操作すれば、利益は調整できる。なぜならば、費用も利益も収支を基礎としているわけではないからである。しかも、長期借入金の返済が表に現れないからである。その為に、長期的資金の流れが捕捉できないでいる。

見た目は、利益は上がるのに、資金が不足し、債務が増加すると言う状態に陥る事になる。また、利益が上がるのは、費用を削減する事に依るから、雇用は減退し、総所得の中味も勤労所得から資本所得へ比重が移る。しかも、市場全体がこの状態に陥ると実物市場に資金が回らなくなる。
見かけ上の利益と資金収支とは、直接連動しているわけではない。資金不足であろうと利益を上げる事は出来るのである。逆に、赤字であろうと資金を余剰に持つ事も出来るのである。

実質的な資金の働きという観点からすれば可処分所得の働きが一番重要なのである。支出が可処分所得を上回れば、家計であろうが、民間企業であろうが、財政であろうが借金をしなければならなくなる。

費用対効果の実体は、率だけを見ても、絶対額の推移を合わせてみないかぎり判らない。利益率は改善されても一人当たりの所得は改善されていない場合があるのである。量ばかりでなく質も見なければ密度は判らない。

適正価格の維持という思想を捨て、全てを価格競争に集約した結果である。安ければいいというのではない。高すぎるのも問題である。如何に適正な価格を維持するかの問題である。

市場全体では経済主体の収支はゼロ和で均衡している。また、世界全体では経常収支と資本収支はゼロ和で均衡している。個々の主体の内部では経常収支と資本収支もゼロ和で均衡している。これが前提条件である。

忘れてはならないのは、収益によって長期借入金を上回る資金が調達できなくなれば、投資に回せる資金が収益によって調達できなくなるという事である。それは経済成長を抑制することになる。

収益のエントロピーが増大し、限りなく価格が変動費に収束していくと、付加価値が失われていく。付加価値が失われるという事は、時間価値が喪失する事である。時間価値は、利益、金利、償却費、人件費(個人所得)等である。時間価値の喪失は、投資を抑制する働きがある。投資が抑制されると実物市場に資金が資金が流れなくなり、勤労所得から資本所得へと所得の比重の移動を促す。その結果、経済が実態から乖離し、資本の動きによって景気は不安定となるのである。又、雇用も所得も減退し、市場は冷え込むのである。
収益を安定させ、資金の流れとの整合性をとれる施策をとる以外、景気を浮揚させる手段はない。

付加価値が失われると資金は、実物市場に流れにくくなる。
実物市場に資金が流れ難い状態の時に過剰に資金を供給すると、資金は、資本市場に向かい、資産勘定と負債勘定を膨張させる。それがバブルという現象を引き起こす。
資産勘定と負債勘定が拡大する事で、所得と資本収入に偏りが生じる。この偏りは、所得格差の原因となり、景気を不均衡な状態にする。

市場の容量にも問題がある。実物市場は有限である。有限である市場の容量には限界がある。市場が飽和状態は状態になると生産力に抑制がかかる。
市場の容量が有限であるのに対して貨幣価値は、上方に無限に開かれている。資本市場は、上方に開いている。資金が過剰に市場に供給されると有限である実物市場と無限である資本市場は乖離してしまう。

現金の流れが経済の仕組みを動かしていて、期間損益主義に限界があるとしたら、現金主義に依れば良いと考えがちであるが、現金主義には、現金主義の限界があり、それ故に、期間損益主義が成立したのである。

家計にも、財政にも通ずる事だが、現金主義の問題点は、お金の流れと全体を構成する部分の働きとか結びついていない事である。
その為に、全体の働きと部分の働きとを関連づけて測定する事ができなず。全体と部分との働きの整合性がとれずに全体を一体的に制御する事を不可能にしている。

赤字は悪いではなくて、赤字の何処が悪いのかが問題なのである。それ以前に赤字自体が本当に悪い事なのかである。ゼロ和では、赤字には対極に黒字があり、赤字が悪いとしたら、黒字も悪いという事になる。
赤字が単に悪ければ黒字も悪いのである。赤字が悪いとか、黒字が悪いのではなく、一定の単位期間内で均衡できないような赤字や黒字が悪いのである。

市場全体における経済価値の総量はゼロである。これをゼロ和均衡という。
ゼロ和均衡には、水平的均衡と垂直的均衡がある。
水平的均衡とは、経済主体間の均衡を意味し、垂直的均衡とは、収支取引と資本取引の均衡を意味する。

均衡には、時間的均衡と空間的均衡がある。
時間的均衡とは、単位期間の範囲内で均衡させる事を言い、空間的均衡とは、経済主体間で均衡させる事を言う。

ゼロ和均衡というのは、黒字の主体があれば、赤字の主体が生じるし、赤字の主体が生じれば、黒字の主体が生じる。全てを黒字にする事も赤字にする事も出来ない。
問題となるのは、どの主体をどの時点でどの程度黒字、或いは、赤字にするかであり、黒字と赤字を恒久的に一定とした場合、一方的に債権と債務が集積する事になる。
故に、一定の振幅で振動しないかぎり、格差は拡大する。

経常収支が黒字だからとしても必ずしも良い状態とは限らない。黒字の対極にある赤字との関係から黒字の働きを明らかにする必要がある。その上で、黒字で得た資金が何処に向けられるかが問題なのである。

経済運動の基本は、回転運動であり、振動だと言う事を忘れてはならない。
振動を前提としないと一定の状態が累積することになる。
赤字国は、赤字を累積し、黒字国は黒字を一方向的に累積することを前提としなければならなくなる。
もし均衡を前提とするならば、経済の状態を赤字と黒字の間を緩やかに振動するように設定すべきなのである。

経済主体の働きの本質は、期間損益に求められる。経済を活性化させる為には、収益を向上させ、資金効率を高める以外似ないのである。







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