67、貨幣とは

数学は、手段である。そして、本来、数学は、合目的的な事なのである。
数は抽象であり、数が指し示す対象によって数の性格も違ってくるのである。

人口、高齢者、家の着工件数、所得と言った数の性格は、数が指し示す対象によって決まる。
対象というのは何らかの全体を持っている。全体を構成する要素の数は、全体のとらえ方、認識の仕方によって決まる。

数というのは、抽象的な事で、手段であり道具である。抽象的で、手段、道具である数は、その基となる対象、目的、扱い方や処理の仕方で、いくらでも姿形を変え、性質にも違いが生じる。故に、自然数、整数、実数等の差が生じたのである。
我々が数値を扱う時は、前提条件や目的を確認すべきなのである。

数は認識の問題であり、了解可能性の問題である。
これは大前提である。

特に、経済では、数そのものが単体で機能しているわけではない。
数は、数が指し示す何らかの対象と組み合わさる事で機能を発揮する。
数の本質は、抽象であり、働きであり、情報であり、性格である。

数を数えるという行為は、共通の要素や性格を持つ対象を選ぶという働きを隠し持っている。
即ち、数は、同じ要素や性格を持つ事象の集合の存在を前提として成り立っていることを意味している。
数には、選ぶ、分ける、数える、集める、測る(比較する)、記録する、保存すると言う働きがある。
この働きは、貨幣価値にも受け継がれている。
そして、この数の働きは、経済的行為の根底を形成している。

貨幣というのは、数を物化した物である。

貨幣は、数を物化した物である。
物化した事で、貨幣は数という属性だけでなく、物としての属性を付加される事となる。貨幣は、物化した事によって物としての属性が獲得されたのと同時に物としての制約も受けるようになる。
物としての属性には、所有する、持つ、運ぶ、見る、触れる、交換する、配る、貸す、借りる、預ける、預かる、あげる、貯める、蓄える、保管する、渡す、受け取る、譲る、捨てる、廃棄する、捨てる、隠す、変える等がある。
物としての属性は、負の値をとれない、小数を表せない、即ち、割り切れない物は扱えない、また、虚数、無理数を使えない。離散数となる、残高を基本とせざる得ない、有限である、数単体では機能しないという事である。
そして、数と物との属性が貨幣の働きを規定している。又、貨幣価値の土台となる。

貨幣は、物の価値と貨幣が表象する数とを結びつける事で成り立っている。物の価値を数値化する事である。数値化する事で、価値の働きを数式として表現する事が可能となる。

量化する事は、質的な性格を際立たせる効果がある。人口を年齢で区分するとそれぞれの世代の違いが際立つ。表に現れた貨幣価値だけで物事を判断しようとすると経済の持つ質的側面を見落とす事になる。

経済は、第一に、場に働く力と第二に、組織や制度、法、仕組みといった構造的な働き、そして、第三に、個々の主体、部分、単位の働きの三つの働きによって成り立っている。

三つの働きの原動力は資金の流れであり、収入と支出という形で現れる。

貨幣経済の仕組みは収入と支出の振動によって動かされている。収支は資金の流れを創り出す。資金の流れが場の働きや構造の動き個々の主体の動きを制御している。

構造は、何らかの全体を意味し、個々の主体は部分を意味する。

収入の手段は、会計上、負債的手段、資本的手段、収益的手段に支出は、資産的支出と費用的支出、そして、金融的支出に分類される。資産的支出は投資であり、費用的支出は、消費でもある。ただ、金融的支出は、会計上計上されない。金利は費用的支出である。

収入と支出は、経済主体の内と外という観点から見ると表裏の関係にもなる。但しこの関係は、支出は収入であるが、収入は必ずしも支出ではない。収入と収益とは違う。収入は基本的に収益によって賄う物だが、収益で不足した場合は、負債的手段、或いは、資本的手段によって補わなければならない。

経済に働く力の源泉は、第一に名目的価値と実質的価値の相互作用がある。第二に、フローとストックの相互作用がある。これらの相互作用を生み出すのは、資産、負債、収益、費用の相互作用と収入と支出、即ち、資金の流れの働きである。

場に働く力は、名目的価値と実質的価値の関係から生じる。名目的価値と実質的価値の相互作用が場の力の性格を決めている。又、場に働く力の基礎はストックにある。

経済を構成する要素には、人の要素、物の要素、金の要素がある。実質的価値は、物の要素を反映した事であり、名目的価値は、貨幣的要素を反映した事である。

会計では、実質的価値は、資産、費用に分類される。名目的価値は、負債、資本、収益に分類される。利益は資本に蓄積される。
名目と実質の違いは、名目的価値とは、貨幣としての価値しか持たない事象をさし、実質的価値とは、物としての実体を持つ事象の持つ価値を言う。

名目的価値は、表面に現れた価値と実体的な価値が一致している、のに対して実質的価値は、表面に現れた価値と実体的の価値が一致していない場合がある。例えば、地価は、会計上計上される価値と実際に取引されている価格とは必ずしも一致しているわけではない。地価のように実体的価値と帳簿上の価値が違う事象を実質的価値がある物とする。

また、ストックとフローは、流動性の問題でもある。
会計上、ストックに属するのは、資産と負債、資本である。フローに属するのは、収益と費用である。

実質的価値には、フローとストックがある。実質的価値は、フローの部分では名目的価値と基本的に一致している。問題は、ストックの部分で実質的価値は、実体と乖離しているという点である。
そして、ストックの部分の実質的価値と名目的価値との差が資金の流れる方向を定めるのである。

市場が拡大傾向がある時は、実質的価値が名目的価値を上回る事で、成長を促す。それがインフレーションの一因となる。

国内の生産の総和を国内総生産というように、国内の収益の総和を国内総所得、国内の費用の和を国内総費用、国内の総資産の総和を国内総資産、国内の負債の総和を国内総負債、国内の総資本の総和を国内総資本、純資本の総和を国内総純資産とする。
資金の調達力が何らかの原因で、抑制されると収益力が急速に低下し、相対的に総費用の比率が上昇し、国内総資産が圧迫され、国内総負債の負担が相対的に増加する。
その結果、実物市場に資金が流れにくくなるのである。
最大の問題は、実物市場への資金の供給が遮断される事である。

貸借対照表は、基本的に残高表だと言う事である。それが貸借対照表、損益計算書から現金収支を掴みにくくしているのである。
しかし、貸借対照表も損益計算書も根底に流れているのは、現金収支である。
景気が悪くなり、社会全般の収益力が低下すると必然的に負の負担が大きくなる。

社会全般の収益力がなくなると資産の担保余力が失われ、負債の返済圧力、回収圧力も強くなり、投資や費用に回す資金の余力がなくなる。しかも、往々にして不況になると過当競争に陥り、収益力を更に低下させる。負のスパイラルが始まるのである。不況時に過当競争に陥るのは、市場自体が飽和状態になり、拡大する余地がなくなるからである。少なくなった余地を巡って多くの企業が取り合うからである。こうなると実物市場に資金が流れる経路が狭くなり、資金が金融に滞留するようになる。この様な資金は捌け口を求めて資産市場に流れ込む。それがバブルである。
問題は実物市場に資金が流れなくなり、分配の機能が働かなくなっている事なのである。
この様な状況では、競争を抑制して市場の収益力を取り戻すようにすべきなのである。いくら公共投資をしても市場が資金を吸収できなければ、かえって公共投資も弊害である。資金量が不足しているのではなく。資金が流れにくくなっている、或いは、逆流しているのである。


       

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