神と経済


神は、全ての存在の前提。
自己は、全て認識の前提。

今の経済の最大の問題点は、私利私欲を経済の中心に据えている事です。
私利私欲が経済を牛耳っている為に、経済から公共の利益が失われていくのである。つまり、大義、公儀が経済から失われ利己主義だけが経済行為を正当化する根拠となる。
それでも、神を怖れ敬っているうちはまだ救いがあるが、神さえ信じられなくなったら、残されるのは、強欲だけである。
国家は、神にとって代わる事はできない。なぜならば国家は絶対的存在にはなれないからである。

神を信じる者が嘘をつけない理由、約束を破れない理由は、神にある。神を信じない者が嘘をつかない理由、約束を守る理由は、人と人との関係にある。そこが問題なのだ。神との関係は絶対だが、人との関係は相対的である。神を信じない者は、状況や環境、前提条件が変われば平気で嘘をつくし約束も破る。
賄賂を受けない。契約を守るという行為があって自由経済は維持されている。見ず知らずの人間を信じて取引ができるのは、神に対する絶対的な信仰を前提とするからである。
この点を理解せずに相手かまわず手を組む事は、危険が大きく過ぎる行為である。
現代の戦争は非日常的な行為から日常的行為へと変質しつつあります。これまでのように正規軍同士が宣戦布告を以て戦争する形態から、非正規軍や反日といった目に見えない敵にも対処していかなければなりません。また、海賊やテロリスト、サイバーテロ、ゲリラ、犯罪組織対国家といった非対称戦争な戦争が常態化しつつあります。そうなると、戦略も戦時における正規軍同士の戦いといった前提によったものから改める必要があります。

戦略を考える上では、文脈というのが重要になります。クラウゼビッツが言うように戦略というのは数学だとも言えます。つまり、論理の働きが重要となります。

アメリカは戦略的原則から逸脱している。
思想的にも、体制的にも、異質の基盤に立っている国とは、最終的には妥協できないという事を忘れてはならない。

先ず、敵と味方をしっかりと見極める事です。どんなに争っても力に依らずに解決できる国と、最終的には力に依らなければ解決できない国とがあります。
何が、分かつのかと言えば、政治体制であり、思想信条であり、宗教的問題です。これらは妥協を許さないからです。
力による対決しかない国と力に依らない解決策がある国それが分岐点です。
我が国にと米国は、政治体制も、経済体制も、国家理念も共有しているのです。
政治体制や経済体制、国家理念を共有できない国とは、結局、力の均衡に依ってしか平和を保つ事はできないのです。

反日というのは、反米を裏返した事です。その点をよく理解しておく事です。アメリカに対抗する国の中には、直接、敵対する事は、得策ではないとする国もあります。その様な国が、同盟国で軍事的に弱い立場の国を標的ににするのは常套手段です。

現代の戦争は、総力戦の様相を呈するという事です。その総力という意味も、非日常的という意味から、日常的という意味に変わりつつあります。我々は、否応なく戦争に巻き込まれつつあるのである。

安直に、国防を特定のイデオロギーと結びつけて考えるのは危険である。

平和、平和と言うが、それでは平和とは何か。平和とは戦争がない状態、争いのない状態を言う。ならば、平和の意義を知るためには、戦争の意味を知る必要がある。
戦争とは、暴力によって自国の意志を相手国に強要する行為、或いは、相手国を暴力によって支配しようとする行為である。

戦いという行為を単に否定的にばかり考えているとその答えは得られない。
この世の中には、戦いを好む人間が沢山いる。その証拠に、映画の多くは、戦いをテーマにした作品である。

なぜ戦うのか。
それは人の一生が死を前提としているからである。
ただ生まれて、老いて、死んでいく。それを潔しとしないから戦うのである。
その戦いの矛先は、世の中の不正や不条理、悪に対しても向けられるのである。この点を理解しないと戦争はなくならない。人は戦う時、大義を求める。
戦いを単に否定的に捉えるばかりではなく。闘争心の持つエネルギーをより建設的、生産的な方向に向ける事が大切なのである。その好例がスポーツである。
それが市場に於いては、競争となり、経済を活性化する。政治の世界では選挙となる。また、スポーツの世界の原動力となる。それが経済を動かす力である。
生きる事が当たり前な事である人間と死と隣り合わせにぎりぎりのところで生きてい者とでは最初から戦う事に対する認識が違う。

肝心なのは、戦う事ではなく。何を信じて戦っているかである。







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