経済学と実務


かつて民主主義を確立した人々は、自由について語り合い、自由を求めて戦い、自由のために働いた。
あの頃の偉大な指導者達は何処へ行ってしまったのだろう。

自由主義体制が有効に機能するのは、民主主義体制であるからである。全体主義や独裁体制は、社会に偏りを生み、また、統制経済へと移行しやすい。結果的に自由主義経済は停滞するのである。この点をよくよく理解しておく必要がある。
政治的取引によって全体主義や独裁主義と妥協すれば、長期的には経済に重大な支障を起こす。だからこそ自由主義間の関係を基礎すべきなのである。

自由主義体制というのは、政治も経済も双方向の働きがあるから均衡するのである。
単方向の働きだけでは、政治も経済も、力の均衡は保たれない。
故に、一方向の働きでは、体制は、均衡が保てずに、分裂してしまう。

経済の根本は、分配にある。経済の本質的な規模を決めるのは、生産財と人口の分布である。金ではない。故に、貧困は相対的な事象であり、双方向の力が働かないかぎり経済は均衡しない。

現在の経済の問題は、経済政策が、市場から乖離し、なかなか効力を発揮できない事である。なぜならば、経済政策は、現在の経済学を基礎として立てられているのに、現在の経済学は、実務と直結していないからである。
それ故に、実務家は、経済学を信用しないのである。

経済の動きを理解するためには、表層に現れた現象のみでなく、背後にある仕組みを知る必要がある。

経済を考える上で次の点を留意する必要がある。

第一に、現在の市場経済は、借金経済だという事である。
そして、第二に、経済主体を動かしているのは、最終的には現金だという事である。

現金の流れが生み出す振動によって市場や経済主体を動かされている。
現金の流れから派生する働きでは、特に、負の働きが重要になる。負のはたきは、マイナスや裏、陰という意味がある。
期間損益では、負債と赤字の働きが半分の働きを担っている。

市場経済を実際に動かしているのは、現金だという事を忘れてはならない。期間損益というのは現金の流れを円滑にするための仕組みなのである。それを忘れると経済の本質を見失うことになる。
現金を資源化した物が資金である。資金の流入、流出、流れが経済や経済車体を動かすエネルギーなのである。

ただし、会計上でいうキャッシュフローというのは、資金の流れを表してはいるが、資金の働きを表してはいない。故に、期間損益を測る必要が出てくるのである。
期間損益で重要になるのは時間軸である。
また、期間損益で大切なのは、平均化である。平均化は、定収入の前提となる。定収入は、長期借入金を成立させるための根拠となる。つまり、導入部分を構成する。

期間損益で重要なのは比率である。しかし、現金主義は、差が重要となる。なぜならば、期間損益では、整数を基本としており、負の数が認められているが、現金主義は、自然数を前提としており、負の数が認められていないからである。

期間損益では、負債と赤字の働きが半分の働きを担っている。

第一の問題点は、現在の市場経済体制は、現金主義と期間損益主義が混在している事である。
第二の問題点は、現金主義に基づく制度と期間損益に基づく制度が明確に区分されておらずに、制度的な整合性が取られていない点にある。中でも最も問題なのが税制との整合性である。

損益構造と収支構造が非対称である。
そして、税制が現金主義と期間損益主義の折衷だという事である。それが資金の流れを圧迫し、歪めている。
そのために、現金収支と利益とは非対称の関係になる。
負債と資産、資本の関係をも歪める。
損益主義と現金主義、そして、税制の整合性を保つためには、税制の基礎を損益主義と現金主義のどちらに置くのか、また、何によって調和させるのかを明確にすることである。
それは、課税対象の問題でもあり、納税の原資の問題でもある。

問題なのは、減価償却と借入金の元本の返済の整合性が取られていないという点にある。
減価償却と借入金の元本の返済額が非対称であり、利益を課税対象として税を課した場合、資金繰りに重大な支障を生じる可能性がある。この様な状態は、一経済主体だけでなく、経済全体にも深刻な支障を来す可能性がある。
この様な障害を回避するためには、赤字(損失)の働きを理解する必要がある。赤字にも働きがあるのである。つまり、赤字は悪いとは決めつけられない。
大切なのは、個々の局面における赤字の働きなのである。
仮に赤字が悪いとしたら黒字も悪いのである。それはその時点の赤字の働きや性格、方向性、時間的推移が問題なのであり、赤字自体が悪いのではない。赤字の是非を論じるのならば、対極にある黒字の是非と各々の働きを理解した上でなければ意味をなさない。

これらの関係を数式に置き換えると、
収入−(減価償却費+支払利息+その他経費)=利益
収入−(支払利息+元本返済額+その他経費)=現金残高
現金残高−利益×税率=手取り現金。
手取りの現金がマイナスになる事は、許されない。経済的に破綻することを意味する。それを回避するためには借入金を増やす必要が出てくる。
現金残高を納税が上回り、税金によって黒字倒産する場合もありうるのである。

貸し、借りと収益、費用の均衡が経済の有り様を構成する。ただ問題となるのは、減価償却と長期借入金の元本の返済額が非対称であり、それが、表面に現れる貸借、損益に与える影響である。
表に現れる部分は売り買いであり、物の部分である。それに対して、裏にあるのは、貸し借りであり、金、即ち、金融の部分である。
損益、収支、課税対象が差額を基礎としているのに、基礎となる要素と差し引く要素がそれぞれ違う上、納税額が比率によって算出される。これが通貨の円滑な流れを妨げているのである。

付加価値の概念にも損益主義と現金主義では差が生じる。
現金主義では、付加価値は、最終的には、地代家賃、金利、人件費に還元される。
損益主義は、これに減価償却費が加わるのである。

自由経済の基本は、差別化と細分化にあり、結局、それが平等にも繋がる。
市場経済の中心を為す要素は価格であり、価格を決定づけるのは細分化と差別化である。

価格は、数量と貨幣価値とに分解できる。
物や人、金の価値には、質的な要素と量的な要素があり、密度が問題となる。
故に、価格にも質的な要素と量的な要素があり、密度が問題となる。

価格を構成するのは、物の価値と金の価値、そして、人の必要性である。物の価値は、需給関係によって決まる。金の価値は通過の流量に左右される。人の必要性は、人の量、即ち、一人一人の所得の量や人口などによって決まる。
つまり、価格は、人、物、金の関数である。

この事は、価格は、財の貨幣価値の密度を表す指標でもある事を意味している。財の質と量、そして、貨幣的密度によって価格は構成されている。

価格は、財の物としての質、交換価値として量、そして、消費者の欲求の密度からなる。
そして、財や交換価値、消費者の欲求が組み合わさり、複合的に結びつけられる事によって価格は形成されるのである。

価格は変動的である事が前提なのである。

なぜならば、第一に、生産と消費は非対称の関係にあるという事。第二に、生産と消費には物理的な制約があるのに対して、貨幣量には物理的な制約がないという事。第三に、生産は外的要因によって決まるのに対して、消費を決める欲求は、内的要因によるという三点である。この三つの要因が価格の動向を決めているのである。
そして、生産に対する資源配分を決める主体と消費に対する資源の配分を決める主体は、それぞれ独立している。
消費や所得は最終的には個人に帰結する。故に、個人の属性や働き、性格を如何に定義するかによって製材に対する認識は違ってくる。

今日では、価格は、財と貨幣価値とを一対一に結びつけられた結果としての値としてではなく。一対多、多対一、多対多の関係によって認識されるようになってきた。

価格を検討する場合、単次元的な発想では一方的な傾向に陥りがちである。二次元的、三次元的な発想ができないと解決には結びつかない。

価格は、商品群と料金体系群と消費者群を結びつけることによって成り立っている。

この関係は、価格の働きによって形成された。価格の働きとは、生産物と消費者を交換価値によって結びつけ、財の分配を促す事を意味する。

そして、商品群と料金体系、消費者の有り様が多様であり、一律一元でないことに由来する。

経済の有り様は、所得の総量と水準、分配のばらつきによって決まる。

所得とは、分配の権利、市場で財と交換する権利を意味する。
所得差を金持ちと貧乏人の差として考えがちであるが、金持ちか貧乏かは、部分的な問題であり、局面である。経済の動向を判断する場合は、全体的な問題としても捉える必要がある。
また、金持ちであるか、貧乏であるかは結果であって根本的には、その結果の原因やその結果を導き出す仕組みに問題がある。





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