アメリカ建国の理想を呼び戻すとき

 2001.9.11、アメリカ人は震撼した。そして、アメリカの建国の理念が試されたのである。しかし、今、アメリカ人は、それ以上にアメリカの存在意義が問われている。
 真のアメリカの力。アメリカの崇高な理想は何かを問われている。
 アメリカの創り出す製品は、本当に競争力がないのか。駄目なのか。アメリカの車は世界に通用しないのか。アメリカの電気製品は、役に立たないのか。アメリカのデザインは、趣味が悪いのか。本当に駄目なのか。それが問われているのである。
 アメリカは、新たな挑戦に向かうべきである。アメリカの底力を発揮すべなのである。

 アメリカとは何か。今こそ、アメリカの理想を呼び戻す時なのだ。

 我々は、市場の歪みや経済の異常な現象に目を奪われて、在るべき姿を見失っている。
 現代のサブプライム問題も然りである。サブプライム問題の本質は、住宅問題だったはずである。それが金融問題にすり替わってから、事態は、本質を見失ってしまった。
 アメリカの住宅事情に根本的な問題が残されているのである。そして、先ずやるべき事は、アメリカにおける住宅のあるべき姿を明確にしていく事である。つまり、根本は国家観にあるのである。
 一番重要なのは、住宅がまだまだ不足しているという事実である。サブプライムローンの問題は、結局、住宅政策の問題に行き着く。また、住宅問題を片付けないとサブプライムの解決も長引くことになる。
 それに基づいて消費者側から見てどれだけ住宅が不足しているのか。そして、供給側から見てどれだけ住宅が余剰なのか、そして、市場から見て在庫がとれ程あるのかを正確に把握することである。更に、それを所得差と支払い能力、地域性から分析をすることである
 需要と供給、更に、在庫の事情が解明されれば、問題は、市場と手段の問題になります。市場と手段の構造的欠陥を見出すことである。つまり、いかに、需要側は、所得を維持し、支払手段を確保するかになる。供給側は、生産と供給の均衡をいかに保つか、住宅の供給手段をどの様な仕組みにするかである。

 サブプライム問題は、市場と手段の構造的な欠陥が引き起こしたと思われる。
 市場は、三つの場が重なって形成される。つまり、人的な場、物的な場、貨幣的な場の三つである。サブプライム問題は、主として貨幣的な場の欠陥によって発生したと考えられる。

 貨幣の問題は、水準(レベル)を調整するか、流量(フロー)を調節するか、在庫(ストック)を調整するかに至る。この調整する仕組みに欠陥があると考えられる。

 住宅問題には、ストックの問題をフローで解決する必要がある。

 経済は、過程であってスタートとゴールがある。そして、その間の仕組みをどうするかの問題である。

 住宅問題、医療問題、いずれにしても対象を見極め、細分化し、階層化する事が重要です。

 多くの仕事があって市場は有効に機能するのである。仕事がなくなれば、市場は、機能しなくなる。ある意味で市場は、非効率を好むのである。生産性の効率ばかりを計って、仕事をなくせば、市場は、すかすかになる。密度が薄くなるのであ

 そこに苦しみ、助けを求める人がいれば、医療は、成立するのである。癒すことを目的としているうちは救いがあるが、金儲けが目的となれば、医療の本質は失われる。

 先ず健康とは何かを明らかにすることです。健康を考えると言う事は、人生を考えることです。医療は人生設計に始まる。
 医療制度というと建物や設備、技術だと錯覚しますが、その前に、医療は、人間科学の問題だという事です。医療は人を考えることである。人間としていかに生き、いかに死ぬのかの問題である。人間はいつか死ぬのである。大切なのは、いかに生きるかである。先端技術に囲まれても幸せになれるとは限らない。だから、医療は、人と人との関係を考えることなのである。人生とは愛である。家族愛であり。友情である。ホスピタリティーである。それなくして、医療は成り立たない。
 この様な基本的な考え方に基づいて制度は設計される。
 基本的な考え方が明確になれば、次ぎに対象を明確にする。そして、対象を細分化し、階層化する。一般的なことと特別なことを区分する。そして、一般的な部分を基盤にして、その上に特殊な部分を組み込んでいくのである。
 経済というのは、過程です。需要者と供給者があってその間に市場と手段がある。需要と供給者の間の双方向の働きによって分配を促すそれが経済制度です。それを補助するのが金融制度や保険制度である。
 医療制度の鍵は、分担と所得の再分配です。全てを国が分担するわけには行かない。
 また、医療制度改革は、雇用に結びつかないと意味がありません。医療制度も見方を変えれば雇用対策なのである。
 重要なのは、支払い能力と分担である。支払い能力というのは、国家の支払い能力も含めてである。全てを国家が保証すればいいと言うのは短絡的である。基本は家族である。
 重要なのは、何を基本とするのか、何を最低限保証するのか、その上で何を選択させるのかを明らかにすることである。

 また、医療問題は、金融問題でもある。 
 医療制度というのは、公的な保険機関と直結させれば、配布や雇用は、即、回収に繋がります。使えば回収される関係が生じるからです。直接供給者に資金を投入するのでなく、間に市場を介せば、自動的に回収の仕組みに資金が流れ込むことを意味するのである。
 その意味では、医療に対する金融制度の整備も重要となる。

 年金の基金の規模は、世界でも有数なのに、高齢者のための事業は貧困である。それは、年金の事業に哲学が欠けているからである。つまり、仏を作って魂を入れていないのである。
 医療は、仕組みさえしっかりすれば、有望で安定した投資先なのである。

 医療は、設備ではなく、仕組みです。病院を中心とした医療を考えていると、医療制度の全貌が見えなくなる。医療を支えているのは、地域コミュニティーなのです。つまり、社会の仕組みを考えることなのである。

 介護、建設、設備、器具、薬、研究、教育、保険、金融と、医療は、多様で、総合的なものである。
 だからこそ、医療制度改革は、多くの雇用を生み出す可能性を秘めているのである。
 更に、医療は、伝統的産業であると同時に、生命工学、遺伝子工学、IT、電子工学、原子力と言うように高度先端技術産業でもある。医療は先端技術の宝庫でもある。

 そしてまた、健康は環境産業でもある。

 今世紀は、健康の時代である。なぜならば、人々の生活が豊かになれば、次は健康管理に目が向けられるようになるからである。



                    


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