ゼロの圧力



 自由主義経済の根幹は、均衡と対称性にある。

 その意味で、複式簿記の構造が借方、貸方、つまり、貸し借りを基本としていることは、含蓄があることなのである。

 市場経済の文法である複式簿記は、ゼロサムが基本である。つまり、総和は常にゼロに保たれるように設定されている。それがゼロの圧力の源泉である。
 ゼロには、ゼロ点でも、ゼロ線でも、ゼロ面でも均衡を保とうとする力が働く。また、対称性を生み出す働きがある。

 ゼロ点やゼロ線が設定されるとゼロに収縮していこうという働きやゼロを中心として振幅する働きが見られたりする。それがゼロの圧力である。

 ゼロサムの状態においては、ゼロ、即ち、均衡に向かって収斂しようとする力が働く。それがゼロの圧力である。
 また、だからゼロの持つ意味が重要なのである。

 複式簿記を文法とする市場では、利益は、放置するとゼロに向かって収束していく。なぜならば、会計の基礎となる複式簿記は、ゼロサムを基調とするからである。

 経済主体間の貸し借りは、ゼロである。
 また、経常収支と資本収支の和もゼロになる。また、市場全体の経常収支、資本収支、貿易収支の総和もゼロである。
 故に、赤字か黒字かが問題なのではない。

 この様な関係が成立する自由経済の原則は、黒字があれば、同量の赤字があることである。
 故に、黒字は正常で赤字は異常と決めつけることは間違いだという事になる。問題になるのは、黒字や赤字を生み出す仕組みとその機能である。黒字と赤字が硬直的であり、黒字の部分も赤字の部分も継続的に黒字であり、赤字だという事である。そして、これは構造的問題なのである。

 何が赤字、何が黒字か。そして、それは時間的に均衡するのか。また、振幅の幅は適正化が問題となるのである。

 例えば、経常収支が赤字の場合、資本収支が黒字なければならないし、経常収支、財政収支、家計収支、民間収支の総和がゼロだという事は、赤字の経済主体と黒字の経済主体が混在していることを意味するのである。
 全ての経済主体を黒字にする事はできないのである。黒字が是で赤字が否というのではなく、黒字主体と赤字主体の役割、及び、推移が問題なのである。

 赤字や黒字にどの様な性格があり、働きがあるかが問題なのである。
 赤字や黒字の時間的な変化はどういう性格のものか。
 赤字や黒字が慢性的なものなのか。
 赤字や黒字を補完しているものは何か。
 赤字と黒字の相互の働きは何か。
 赤字主体と黒字主体の役割は何かである。
 任意の赤字主体、或いは、黒字主体が、他の赤字主体や黒字主体にどの様な影響を与えるかである。
 即ち、黒字や赤字を作る仕組みは、何かといった事が、鍵を握っているのである。

 均衡と対称という現象は、表面に現れた現象の背後に逆方向の力が、働いていると考えなければならない。黒字には赤字が働いているのであり、黒字の働きだけを見ても赤字、即ち、逆方向の働きを見ないと本当の役割を理解する事ができないのである。
 利益は、赤字主体と黒字主体の存在に依って生じる。均衡への圧力は、利益を限りなくゼロに近づけようとする働きを生み出す。

 市場の健全さを保つためには、如何に、均衡と対称を壊すかが重要となる。

 価格競争は、商品の質を均質化する。

 大量生産、大量消費は、商品を単一化、標準化させる働きがある。
 それは、大量生産や大量消費は生産や消費を平均化するからである。
 個人の欲求を一律、一元、一様なものとするか、多種多様なものとするかによって経済の仕組みに対する考え方、原則が違ってくる。
 自由市場は、本来、成熟する過程で、多様化する事を、前提としなければならない。
 個人の欲求を一律、一元、一様なものとするのは、全体主義、統制主義である。
 自由経済における豊かさは多様性にある。
 なぜなら、価値の単一か、標準化は選択肢の幅を狭め、貧困なものにするからである。
 そして、価値の単一化、標準化は、経済的価値のバラツキや格差をなくす。その結果、経済価値は均衡に向かいかぎりなくゼロに近づくのである。それは、経済の活力を奪う事である。

 その結果、無原則な価格競争は、利益をゼロに収斂していく。

 利益を維持するためには、価格競争以外の施策をとるような仕組みにする必要があるのである。競争は、価格だけにあるわけではない。
 その場合、競争の前提、競争の条件を同一化する必要がある。そうしないと公正な競争は実現しない。

 利益を生み出すのは、市場の仕組み、構造である。市場の構造は、規制によって形作られる。規制が市場のあり方を決める。故に、規制緩和が全てなのではない。適正な規制こそが求められているのである。

 経済の動きは、収入と支出と所得の関係によって生じる。
 所得は、入り口でもあり、出口でもある。
 所得は付加価値の集計である。
 付加価値とは、一定期間内の経済活動によって生み出された経済的価値を貨幣価値に換算した値である。
 つまり、所得は生産された価値である。
 所得は、前期の支出である。
 収入は、所得と借入金、貸付金の返済からなる。
 支出は、消費と貯蓄、借入金の返済からなる。
 消費は、経済のフローを生み出し、貯蓄と借入金はストックを形成する。
 所得は、当期の支出と貯蓄になる。
 当期の所得を上回る支出は、貸付金と過去の貯蓄の取り崩しによる。
 支出は所得に転じる。
 所得より支出が大きい場合は、市場は拡大し、借入金は増大する。所得より支出が少ない場合は、市場は縮小し、借入金は縮小する。
 収入は、通貨量と回転数の積である。回転数は取引量である。
 この様に、収入、所得、支出の関係から、消費、貯蓄、借入金が生じる。貯蓄と借入金は、投資の潜在的力である。

 所得より支出が多い場合は、借入金か、貯金を取り崩す事で補われる。借入金は、ストックに蓄えられ、貯蓄を取り崩すとストックがフローに転換される。所得より支出が上回ると市場は拡大している事を表している。
 所得より支出が下回る場合は、余った部分は貯蓄か借入金の返済に回される。それは市場の縮小を意味する。

 実質的な経済は、物の生産と消費、そして、通貨の流通量によって成り立っている。物価は、実質的経済価値である。生産と消費は所得に基づいて実現する。生産は、所得の生み出す労働によって成り立っているからである。また、消費は収入の範囲内で賄われる。収入を構成する要素、所得、借入、預金の取り崩しの中で生産的なのは、所得だけだからである。生産は、消費と在庫、輸入から成り立つ。生産より、消費が上回れば、他国から輸入らざるを得なくなる。逆に、生産が過剰になれば、過剰な部分は、在庫か輸出する事になる。輸出入が経常損益の元となる。

 物と金の経済を結びつけるのは、収入と支出と所得の関係である。物は、出口にあって消費であり、支出である。金は、入り口にあって生産であり、収入である。それを結びつけるのが人の所得である。つまり、物と金とを結びつけるのは、人である。

 経常収支は実質的産業により、所得収支は、消費的(金融を含むサービス)産業による。
 この事は、物と金、実質と名目、生産的局面と消費的局面の関係を暗示している。

 経済現象は、物の経済と金の経済、人の経済によって生じる。人、物、金が調和すれば経済は安定し、不均衡になれば、経済は不安定になるのである。






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