神について




神に答えを求めるべきではない。
答えを求めても神は沈黙する。
神は、お示しになるだけである。
答えを出すのは人である。

地震に、津波に、原発事故。
神は、お示しになられた。
答えを出すのは人間である。

答えは神に問うのではなく、自らに問え。

神の物は神へ。
人の物は人へ。

経済の事を考える事は神の事を考えることであり、
神を考える事は経済を考えることでもある。

人は、神と対峙することで、自分達の倫理観、道徳を形成した。
又、社会の仕組みや制度の根本理念を作り上げてきた。
そして、経済の有り様や日常の行動規範も洗練してきたのである。
だから、神は、日常生活の隅々にまで行き渡っていた。

秋には、その年の収穫に感謝を捧げ、お祭りをした。
それは自然に対する畏敬心から発した祈りでもある。
今の祭りは金儲けが目的である。

経済は、分かち合い、助け合うことが根本なのである。
それを今の市場経済では、競争し、争うことだと教える。
馬鹿げている。
それでは、社会や国を建設する意味がない。
社会や国の仕組みは、分かち合い、助け合うことを目的としたものなのである。

今は、神に感謝し、祈りを捧げるのではなく、「お金」に感謝をし、祈りを捧げるようになった。
だから、金銭的利益を先にして、人の生活を後回しにするようになったのである。
その結果、不景気になると平然と人を解雇することができるような世界になったのである。
解雇された人間が生活に困ってもそんなことはどうでも良いのである。
人の情なんて無縁な世界であり、人の情など滑稽でしかない。
今の世で一番大切なのは金儲けである。
今の世で一番大切なのは、人ではない。
一番が「お金」で、二番が物、そして、最後に人なのである。

だから悪徳がはびこる。
どんな不道徳な行為も金儲けの為なら許される。
「お金」さえあれば何でもできる。
金儲けの為なら何でもできる。
「お金」の為なら魂だって売り渡す。
「お金」になるなら戦争だって辞さない。
「お金」の為なら、国家だって、仲間だって売り渡す。
そうしなければ、今の経済の仕組みでは生き残れないのである。
真に「お金」が全ての世の中である。

金儲けの為なら、家族も犠牲にする。そうしなければやっていけない。家族の面倒なんて見ている暇はないのである。家族の世話を見ていたら共倒れしてしまう。
公共の利益を犠牲にし、友を裏切り、親や子を売り、年寄りを騙しても金儲けをした者が栄光を得るのである。
しかし、それは、神の祝福なき栄光である。

市場は、競争の場であり、闘争の場でしかない。
助け合い、分かち合い事は許されないのである。
このまま放置すれば、自由主義経済は、破綻する。
「お金」に支配されてしまったからである。

相手の生活を考えずに、解雇できるのは、「お金」だからである。
仲間が困っている時、収穫や獲物だったら分かち合うことができる。
しかし、「お金」の世は、所詮、「お金」の世である。
「お金」のない者は、助けようがないのである。

「お金」は人をも変えてしまう。
人をただの物にしてしまう。
だから、「お金」の世では一番大切なのは「お金」で、次に物で、一番、粗略に扱われるのは人である。
「お金」のない人は、ゴミであり、厄介な代物なのである。
物があっても分かち合う心がない。
思いやりなんて、今の経済には、金儲けの手段以上の意味はない。
心なんて必要ないのである。
だから人々は心を病むのである。

本来、社会は、助け合い、分かち合うことによって成り立っていた。
社会がより洗練され、組織化された形態が会社である。
形態は、洗練化され、組織化されたかもしれないが、助け合い、分かち合う気持ちがなくなってしまった。
結局、今の経済で一番大切なのは、利益である。
利益を得る為に合理化し、人件費を減らせば、社会全体の効用、所得は減少する。
回り回って景気は悪化するのである。
今の経済には、神が不在である。
経済の根本は、神の恵みに感謝し、助け合い、分かち合うことにある。

生産と分配と支出が均衡しなければ、経済は良くならないのである。

競争、競争とただ争いを煽っても経済は良くならない。
競争に求められるのは、節度ある競争、公正な競争である。
人と戦車が競っても人が負けるのは、必然的結果である。
人が弱いのではない。
不公正な競争を強いられただけである。
無慈悲である。

神を中心とした生活では、経済は、神の恵みを分かち合うことにあった。
ところが今は金が中心である。
収穫や獲物だからこそ分かち合うことができた。
金銭的利益だから分かち合うことができないのである。
神の恵みを分かち合うことを忘れて、「お金」が全てになってしまった。

最初は、「お金」ではない、「お金」の為に働いているわけではないと言っていても、「お金」になると解れば、いずれは、金儲けの手段になってしまう。
本来、奉仕の意味が強い仕事でも一度、金儲けの手段になったら、「お金」に支配されてしまう。
神に仕える仕事でも、商売の種になる。そして、費用が問題となる。
料理も、掃除も、育児も、年寄りの世話も外注化され、金儲けの手段となってしまうのである。
母親の味なるものが消え失せてしまう。労働の質が変わってしまうのである。

社会主義国も全体主義国も神への怖れがない。
故に破綻する。

建国の理念に反するのは、国家への反逆。
神を否定するものと手を組のは、神への背信。

自由主義経済は、神に対する信仰があって成り立つ。神への信仰を失われれば、金に支配され、自由主義経済は機能しなくなるのである。

経済も国も人々を幸せにする為にあるのだ。それを忘れたら、経済も国も成り立たなくなるのである。

どの様な神を信じるのかと問われても応えられない。
私にとって神は、神である。
神は、絶対的で、唯一の存在。

神よ.蘇れ。







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