戦争について




 いわゆる従軍慰安婦問題は、人権の問題です。
 その点を日本の政治家は理解していない。 歴史的な事実か否かの問題ではなく。従軍慰安婦のような存在をどの様に捉えるかの問題である。
 この様な悲劇は、戦争によってのみ引き起こされるわけではない。貧困によっても引き起こされるのである。何らかの差別によっても引き起こされる。
 軍による強制があったか否かと言うよりも、たとえ民間であったとしても、強制されて従軍慰安婦にされた人達がいたとしたら、それは真摯に受け止めるべき問題である。
 国家や軍が関わったか否かを問題とするから、問題の本質が見えてこないのである。又、売春という行為を是とするかも否とするかとも別問題である。要は、どんな形にせよ、自分の意にそぐわない行為を強要されたか否かが問題なのである。
 人身売買の如き行為を認めてはならないのである。

 そして、日本人はこの様な悲劇を二度と起こさないように最大限の努力をすべきなのである。

 いずれにしても戦争で最大の被害を受けるのは、常に、老人や女性、子供といった弱者である。この事をいかなる政治家も肝に銘じておく必要がある。

 国防の本質というのは、何から何を護るのかにある。どうもその辺が日本人には解っていないらしい。

 国民国家では、国民を外敵から守る事を意味する。
 護るべきは国民の権益であって一部の勢力や権力者の権益ではない。あくまでも主役は国民なのである。
 だからこそ、国民をどの様に定義するかが重要になる。なぜならば国民をどの様に定義するかによって護るべき対象に違いが生じるからである。

 共産主義や社会主義の中には、国家という概念をはじめから否定しているものもある。彼等にとって対立というのは、階級間の垂直的対立であって、国家間という水平的な対立を認めていないからである。

 戦争がなくならないのは、戦わなければならない理由があるからである。その点を理解しないと戦争はなくならない。ただ戦争反対と叫んでいても戦争はなくならないのである。戦争をなくしたいと思うならば、戦わなければならない理由をなくす事である。
 戦争の最大の原因は飢えである。つまり、根本は経済である。生存がかかっているからこそ、人は命がけで戦うのである。テリトリーの問題もしかりである。テリトリーを侵略されると生存できなくなるから戦うのである。
 自然界では、繁殖の問題は、通常、同種間では大量殺戮に至る前に制御される。闘争の根本は、生存に関わる問題である。

 領土問題は、政治の問題であり、歴史の問題であり、経済の問題である。さらに、突き詰めると思想や信仰、民族、国家体制の問題である。
 ただ根本的な要因として経済的動機が働いている事は確実である。経済的な動機がなければ、危険を冒してまで領土的な野心をむき出しにする必要はない。生存する事が困難だからこそ、生命を賭しても攻撃的になるのである。

 経済的理由というと卑しい理由のように考える傾向がある。しかし、経済的理由というのは、重要な意味がある。仮に、経済的理由が戦争の主たる原因だと考えたら戦争に対する考え方も変えることができる。

 思想的問題や歴史的問題なら妥協の余地はないが、経済的問題だから取引の余地がある。そして、妥協点を見いだすのが政治である。

 いいかえると、経済的理由だからこそ戦争を回避する手段はあるのである。その他の原因ならば、妥協の余地がなくなる。戦争を回避したいのならば経済の問題を優先的に片付ける事である。ただし、根本は経済でも核兵器問題のように単純に経済だけでは片付けられない問題も生じる場合がある。その場合は、何を優先すべきかを明確にする必要がある。それも政治である。

 経済というのは、分配の問題である。だからこそ、自由経済体制を維持する必要があるのである。市場経済が円滑に機能している事が分配の効率を良くするからである。そのためには、自由経済体制の維持が不可欠なのである。故に、思想、哲学が問題となるのである。








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