負の経済



 0の概念が確立されると負の概念が成立する。

 負の数は、二つの考え方によって導入される。
 一つは、0を基点とすると正に対して逆方向に位置する数と言う考え方である。
 もう一つは、足して0になる数である。

 負の数というのは、仮想の数である。つまり、想像上、観念上の数である。負の数は、基準が定められることによって成立する仮想の数と言える。その基準点が0なのである。故に、0の概念が確立されないと成立しない。故に、比較的新しい概念である。
 つまり、どこを0点、即ち、基点とするかによって正と負が決まる。

 正と負のある仮想の空間では、「足して0になる数」というのは、「向きが反対の働きや位置」には、負号(−)をつけると言う約束になります。
 5と足して0になる数が「マイナス5」(−5)、10と足して0になる数が「マイナス10」(−10)となるのである。
 そして、「負の数を差し引き事=正の数を加えること」と定義されます。
 「マイナス1の2乗は1」となるのです。

 この二つの考え方は、経済においても重要な意味を持つ。
 どこを0とするか、つまり、基点とするか、又は、基点となる水準とするかによって正と負の数が生じるのである。
 この事は、経済においては、ゼロサムと言う関係の基となる。また、0ベースという考え方の基ともなるのである。

 ゼロサム関係が成り立つという事は、表裏の関係にある国や経済主体があることを意味する。
 ゼロサムになる組み合わせと関係を見ると経済の構造が見えてくる。
 例えば、経常収支の総和はゼロである。

 経常収支の赤字国の赤字を減らすという事は、イコール、黒字国の黒字を減らすことを意味する。それを前提として対策を立てなければが実効力はない。
 経常収支は、国家間の不均衡を貨幣価値に置き換えた値である。
 隣国に失業者の群が存在することがいかに国防上危険なことかを考える必要がある。国家間の不均衡が存在する限り、国家間の紛争の種は尽きない。
 平和を守るという事は、基本的に経済の問題なのである。

 物理学的世界では、負の数に対応する具体的な物が存在する。
 例えば、負の力(逆向きの力)。負のポテンシャル。負の位置、速度、加速度。(逆向きの位置、速度、加速度)等である。

 それに対して、経済学において、基本となるのは、貨幣価値である。貨幣価値は、自然数の集合であり、基本的に負の数は存在しない。
 負の数が存在しない変わりに、複式簿記を基礎とした空間では負の位置が存在する。

 貨幣的空間において負の位置にある値とは、正の位置にある値の反対方向に働くと言う事である。
 負の値は、必ず、対極に同量の正の値と組みで設定される値だと言う事である。
 負の値は、正の値と足して0になる値だと言う事である。
 そして、負の値は、仮想、即ち、名目的値だと言う事である。
 そして、貨幣は、負の位置で働いている値である。

 そのため、貨幣価値では、絶対値、即ち、量として表される。
 不換紙幣の本質は、負の位置で働いている数値である。

 経済の基本は、物の生産量と通貨の流通量、そして、消費者の必要性によって決まる。

 市場は、原子炉内部の反応に似ている。つまり、取引の連鎖によって動いているのである。
 取引も交換取引、決算取引、資本取引だけでは付加価値は発生しないのである。付加価値を発生させるのは、損益取引によって利益を生みださなければならない。
 経済政策で重要なのは、所得の転移をもたらす施策か拡大再生産をもたらす施策かである。
 所得の転移、すなわち、所得の再分配は資金の効率を高める。しかし、価値を増殖するわけではない。価値を増殖するためには再投資を促す施策、即ち、拡大再生産を促す施策が必要となる。
 例えば、補助金によって資金をばらまいたとしても、「お金」が、投資、消費に廻らず貯蓄や借金の返済、納税に廻ったら経済に実態的な効果をもたらさない。
 しかもそれが国家の負債によって賄われていたら累積的に国家債務を増やすだけに終わってしまう。

 早い話、景気を良くしようと思ったら、企業が儲かるようにすればいいのである。ところが、不景気になると企業はなかなか儲かるようにならない。それは、ストックとフローの関係に原因がある。

 経済は、基本的には、ストック(固定)とフロー(流動)の問題に行き着くのである。
 ストックの部分とフローの部分を区分したのが期間損益主義である。それまでは現金主義によっていたのである。

 ストックとフローのバランスの問題である。どれくらい通貨が流通しているか、また、ストックがどれ程溜まっているか。

 企業では、ストックが貸借の部分を形成し、フローが損益の部分を形成する。ストックは、長期的働きを形成し、フローは、短期的働きを形成する。
 家計において収益にあたる部分を構成するのが可処分所得である。

 可処分所得を圧迫する要因は何か。それは長期借入金の返済、社会保険料、税金である。これが意味するところが問題なのである。つまり、過去の借金の累積、社会的義務、そして、税金である。

 例えば、家計で定収が得られるようになると自動車ローンや住宅ローンなどの長期負債が可能となる。長期負債を背負うとその返済によって可処分所得が圧迫されるが、家賃と相殺され、痛みを和らげる。長期負債は徐々に蓄積されて可処分所得を圧迫するようになる。それでもインフレの時で、収入の上昇が、ある程度見込める場合は、緩和されるが、デフレになり、給料が下がったりしたら家計を維持することは大変である。こんな時に安定した収入が途絶えたら破産するしかない。

 この事は企業にも言える。期間損益に置き換えてみると収益、費用、資産、負債、資本の均衡が破れ負債だけが膨れあがっていく状態なのである。収益が確保されない反面において固定的な費用が増え、累積的な借入金が増えて、自由に使える金、投資に回せる金が減っていく。

 過剰設備、過剰人員、過剰借入で思う様に、費用が収益に見合わなくなっているのである。収益に見合わない部分を借入で賄おうとするが、担保する資産が不足する。その為に、資金繰りがつかなくなる。挙げ句に、利益も確保できなくなる。例え、会計上、利益を計上できたとしても資金不足に陥って倒産する。黒字倒産である。

 物価は、貨幣の供給量と回転数と利率で決まる。

 貨幣は、使用されることで効用を発揮する。つまり、「お金」は使うことを前提として成り立っている。つまり、今日の貨幣経済は、貨幣を使用することを前提として成り立っている。
 その為に、貨幣は、供給されるとすぐに使われる。言い替えると貨幣は、使うことによって供給され、循環する。
 貨幣の本質は、働きであって、貨幣は、その働きを仲介する物なのである。貨幣は、ただ持っているだけでは、何の役にも立たない。役に立たないどころか価値を減じていくのである。

 貨幣は、所得として供給される。貨幣は、供給されたと同時に、支出される。支出は、消費と投資と貯蓄に分類される。預金は、「お金」を貯める行為と見なされるが、実際は、金融機関への貸付である。貨幣価値には、時間的価値がかかるから時間と伴に減価する。故に、物価は、時間の関数である。

 金貨のような物としての価値を有する貨幣は、価値が時間に左右されることはない。しかし、物としての価値を持たない貨幣、例えば、紙幣やコインのような表象貨幣は、時間と伴に貨幣価値を減じる。
 故に、貨幣は、供給されると同時に使用される事を前提としている。

 この様な貨幣制度下では、供給量と回転数が物価を決めるのである。つまり、市場に供給された貨幣の総量が機能することを前提として成り立っている制度だからである。

 経営の目的は、利益にあるわけではない。
 経営の目的は、第一に人を養う事にある。第二に、財を分配することにある。第三に、貨幣を流通させることにある。その手段として費用があるのである。利益は、尺度に過ぎないのである。
 その点を忘れると経営の意味はなくなり、経済は衰退する。







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