現金の流れ
分配の基礎は、個人所得である。個人所得の中でも可処分所得がキャッシュフローの根底を成している。
経済では、総額と純額、重要な意味を持つ。
たとえば、所得全体を総額とした場合、可処分所得は、純額、粗を意味する。企業収益では、売上は総額であり、粗利益は、純額である。それぞれの意味するところや働きが違う。
国家の経済活動は、「生産」「分配」「支出」の三つの要素を循環していると見なす。最終生産財の価値は付加価値の合計に等しい。
通貨は、所得という形で個人に供給される。また、民間企業には、収入として供給される。個人収入と企業収入を合算した値が民間所得である。
分配は、所得として表される。
総所得≡個人所得+企業収入+租税+輸出
という式で表される。
所得の対極に支出があり、所得=支出となる。支出は、現金残高+消費+投資、そして、政府支出、輸入になる。
個人所得と企業収入は、現金収入である。現金収入は、消費された部分と投資に廻された部分、そして、手元に残金として残されている部分とに分かれる。個人所得と企業収入を合わせたものが民間所得である。即ち、
民間所得=現金残高+消費+投資が常に成り立つ事になる。
総所得=現金残高+消費+投資+政府支出+輸入
これを所得恒等式という。
投資の中には、在庫投資(余剰在庫)が含まれている。
在庫投資を含まない場合には、企業は生産規模を縮小するので、所得は縮小する事になる。逆に在庫投資がマイナスの場合には、企業は生産規模を拡大するので、所得は拡大する。
投資を在庫投資を含まないものとして定義した場合、所得規模は企業が意図した投資額と適合する規模、即ち総所得=現金残高+消費+投資+政府支出+輸入
が成り立つような規模で均衡する。
以上を要約すると、投資を在庫投資を含めて定義すると常に所得恒等式が成立するが、投資を在庫投資を含まないものとして定義すると、所得の水準が調整されない限り、「総所得=現金残高+消費+投資+政府支出+輸入」は成立しない。
一方、付加価値は経済主体に配分され、一部は消費となり、残りは現金残高として手元に残され、あるいは、貯蓄と納税に廻される。
総所得≡現金残高+消費+貯蓄+租税+輸出
が常に成り立つ事になる。これを所得恒等式に当てはめると、
現金残高+消費+投資+政府支出+輸入≡現金残高+消費+貯蓄+租税+輸出 となる。そして、
純投資+政府支出+輸入≡純貯蓄+租税+輸出 が常に成り立つ。
純投資−純貯蓄=財政収支+経常収支
これを投資-貯蓄恒等式という。
投資と負債は、表裏の関係にある。即ち、投資=負債
更に、投資=負債=貯蓄(現金・預金)
これらのことを鑑みると所得規模は生産規模(そして所得)の調整を通じて、企業が意図した投資額と貯蓄額が等しくなるような規模、
純投資−純貯蓄=(租税−政府支出)+(輸出−輸入)で均衡する。
これを投資-貯蓄均衡という。この場合の投資には在庫投資は含まれていないことに注意しなければならない。
投資の総額は、返済された部分を除いて負債として累積する。一方において投資は、資産に計上され償却されない限り蓄積される。
同様に、貯蓄も引き出されない限り蓄積する。
そして、負債と預金は、各々に金利が生じる。金利は、支出に消費として計上される。
蓄積された負債と資産、預金は、債権、債務となって長期的資金の流れを形成する。
又、国家経済においては、
(純貯蓄−純投資)+(租税−政府支出)+(輸出−輸入)=0
すなわち、
貯蓄投資収支+財政収支+経常収支≡0
が常に成り立っている。
現金収入は、一般には、手取、あるいは、可処分所得と見なされる。
総所得から引かれるのは、公共費用(租税、及び、社会保険等)と負債の返済、及び、金利である。
即ち、分配の基本は、可処分所得であり、この可処分所得がマイナスにならないように所得を調節するのが貨幣経済の基本である。
故に、前提は、現金残高は、常に正の数でなければならない。
即ち、現金残高>0
更に、国際経済全体では、経常収支の総計は、0に均衡する。
貨幣は、財政における投資超過額によって国家の負債勘定として供給される。そして、財政に計上された社会資本との相殺勘定によって均衡する。
これらの恒等式を前提として考えるた場合、経済政策を検討する上において投資超過額と財政収支、経常収支の相互関係が重要になる。
投資超過額と財政収支、経常収支は、二律背反関係(trade-off)にあるからである。
又、経常収支=資本収支となる。
投資は裏返してみると負債である。
投資=負債
総負債+資本=総投資
総負債+資本=総資産
総資産=総投資
総負債+資本+収益=総資産+費用
総負債+元金+収入=総資産+支出
支出は、企業収入に転換される。収入は収益に、支出は費用に還元される。
企業収益は、付加価値を生み出すことによって個人所得と租税に分配され、尚かつ、時間価値を生みだす。
経済は、現金残高と投資超過額と財政収支、経常収支の配分と均衡とによって成り立っていると言える。消費は、可処分所得に対応し、貯蓄は投資に対応し、租税は、政府支出に対応し、輸出は、輸入に対応する。各々の過不足が現在の原動力ともなり、不均衡の基ともなるのである。
つまり、経済の原動力は、均衡しようとすると働きと均衡を崩そうとする力の相互作用によって成り立っているのである。
今日の貨幣経済を動かしているのは、現金の流れである。基本は、現金収入にある。しかし、現金残高は、必ずしも経済の働きを測る指針としては適切ではない。それ故に、利益という概念が考案されたのである。その点を忘れてはならない。
利益は、期間損益主義から生じた概念である。期間損益主義は通貨の長期、短期の働きを区分し、長期的展望に立って経済を均衡させようと言う思想である。
長期的資金の働きは、長期的均衡を計る。その上で短期の働きの意味を設定するのが期間損益の原則である。
国際経済においては、長期的均衡を前提とし、その時点その時点での各国や経済主体の位置や役割を確定し、その上で、各々、置かれている経済状況や発展段階に応じた施策を講じる様にする事を原則とすべきなのである。
その前提は、投資とキャッシュフローの整合性にある。
経済上の過不足、又、単年度における赤字、黒字を是非善悪の基準で測るのではなく。それぞれの置かれている位置や役割によって測り、全体的、又、長期的均衡を目的とすべきなのである。
経済の仕組みの最終的目的は、労働と分配にある。故に、問題となるのは労働の質と人、物、金と言った資源の分散と平均にあるのである。
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