長期資金




 生産性のみを追求し過度の競争を放置すれば、雇用は減少し、結局、景気が低迷化したり、価格の低下を招いて適正な利益が上げられなくなる。生産技術が進歩すればするほど、経済が衰退する。それは、生産に偏りすぎた体制だからである。
 経済は、生産だけで成り立っているわけではない。経済というのは、本来、生きる為の活動を言う。消費や労働、分配も重要な要素なのである。現代の市場経済の問題点は、生産に偏りすぎて分配を軽視している点にある。
 市場、市場と言うがそれは、生産者側から見た市場に過ぎない。
 消費者側から見た市場の在り方、即ち、消費経済の確立がなければ、経済は早晩成り立たなくなる。

 日本には、資産家の貧乏人が多くいる。資産家の貧乏人というのが、現代日本のみならず先進国の置かれている状況を象徴しているのである。
 資産家の貧乏人というのは、資産はあるけど、収入が少ないか、決まった収入がない。
 支出を収入で賄えない部分は、借金で補うしかない。収入がえられなければどんどんと借金が増えることになる。
 収入が確保されない反面において固定的な支出が増えて、可処分所得が減っていく。固定的な支出を構成するのは、ローンの支払い、税金や公共料金、医療費、社会保険料などである。
 また、たとえ、名目的な収入は増えても、実際に使えるお金(可処分所得)は限られているのである。なぜならば、堆積物の様な固定的な負債が累積しているからである。
 元々、今の経済の仕組みでは、資産があるという事は、負債があることを前提としている。一見、借入をしていないような資産でも、相続の時に相続税という潜在的負債が顕在化する。

 この事は企業にも言える。期間損益に置き換えてみると収益、費用、資産、負債、資本の均衡が破れ負債だけが膨れあがっていく状態なのである。収益が確保されない反面において固定的な費用が増え、累積的な借入金が増えて、自由に使える金、投資に回せる金が減っていく。
  
 過剰設備、過剰人員、過剰借入で思うように、費用が収益に見合わなくなっているのである。収益に見合わない部分を借入で賄おうとするが、担保する資産が不足する。その為に利益が確保できなくなる。

 債権と債務は、通貨の流れに添って一組みになって派生する。そして、債務は、貸し手と借り手がいるから借りてから見て貸し手側の外的債務(貸し手側から見ると債権)と借り手側の内的債務の二つが同時に成立する。
 不良債権だけを処分すると債務だけが取り残される結果になる。それが、潜在的な不良債務になってしまうのである。しかも、その不良債務は、借り手側の内的債務としてだけでなく、貸し手側の不良債権として取り残されてしまう。

 資産は、未実現利益の資金化の裏付けになる。逆に、未実現損失が生じると資金繰りの阻害要因になる。それがバブルを生みだし、バブルを崩壊させる直接的原因でもある。

 借金は、負の預金とも言える。社会全体から見ると借金は負の働きばかりではなく、投資という正の働きもある。現代市場経済の半分は、借金によって成り立っているという事が言える。個人も、企業も、国家もいかに借金を制御し、共存するか、その為の技術が問われているのである。

 現代の市場経済は、個人収入と企業収入、国家収入によって成り立っている。企業収入は、利益によって成り立っている。利益は会計の論理による。会計の論理の基礎は、収益である。
 利益が確保されないのは、市場の仕組みに問題があるからである。

 要するに、市場経済では、個人収入と企業収益が保てなくなることが最大の問題なのである。

 問題は、収入を保てなくなる原因と支出の内訳、性格にある。
 国家収入の源泉は、個人収入と企業収益である。個人収入の源泉は、企業収益である。企業が収益を上げられなくなれば、国家収入も個人収入も維持できなくなる。企業収益は市場取引に基づく。つまり、企業が適正な収益を確保できなくなるような市場の仕組みが問題なのである。

 市場が成立する要件、前提条件は、第一に、複数の買い手の存在である。第二に、複数の売り手の存在である。第三に、貨幣が市場に流通していることである。第四に、決済制度が確立されていることである。第五に、市場を規制する法と契約の存在である。第六に、財が供給されている事である。第七に、所得が確保されていることである。

 収益を維持するためには、市場の規律が保たれる必要がある。市場の規律が保たれなくなれば、収益は維持されなくなるのである。

 何が市場の規律を失わせるのか。
 市場の規律を保つ要因には、収益の要因、費用の要因、資産の要因、負債の要因、資本の要因がある。そして、市場の規律を保つ要因は、即ち、市場の規律を失わせる要因でもある。
 収益や費用、資産、負債、資本の働きにおいて重要な要因は、一つは、長期か、短期か、もう一つは、固定的であるか、変動的であるかである。
 長期的働きか、短期的働きかの基準は貸借と損益を区分する、即ち、期間損益を測る基準である。
 そして、期間損益では、費用対効果に還元される。

 費用の性格や構造によって収益や資産、負債の在り方、そして、産業の在り方も違ってくる。

 費用の在り方は、その国の産業の在り方の土台である。費用の在り方は、産業の在り方をも決めるのである。

 収益の要因は、基本的には、価格要因である。
 価格は、費用構造の要因と市場の要因がある。数量要因の中で、物的要因には、生産手段、即ち、資産の問題がある。
 価格要因には、単価要因と数量要因がある。数量要因には、物的要因と人的要因がある。
 単価は、費用構造によって決まる。費用の性格を決めるのは、原材料の性格と付加価値の構成である。
 費用の性格を決めるのは、第一に、固定的か、変動的か、第二に、長期的か、短期的かである。
 付加価値は、地代、家賃、金利、人件費、減価償却費である。これらは基本的に固定費を構成する。

 地代、家賃、減価償却費の基となるのは、固定資産である。これらの比率が高い産業は、資本集約型産業である。資本集約型産業は、初期投資の段階で総費用が確定する。
 それに対して労働集約型産業は、経済環境によって費用は左右される。

 この様な資本集約型産業や労働集約型産業の他に知識(情報)集約型産業が台頭してきている。

 費用の構成が、その費用に連動する産業や市場の在り方を規制している。

 拡大均衡段階の市場においては、負債による負担が軽減されるのに対し、縮小均衡段階の市場では、負債の負担が増加する。

 所得水準が高い市場では、結局、労働分配率が高まる傾向がある。そして、世界市場は、一定の、購買力、即ち、所得水準に均衡していこうという性格がある。
 いずれにしても、高い所得水準を保とうとしたら、例外なく、高度な技術や能力が要求されるのである。

 通貨の流れる方向は、第一に、通貨は、売る側から買う側に流れる。第二に、通貨は、借入をする場合は、貸す側から、借りる側に流れる。第三に、債務を解消する場合は、借りた側から貸した側に流れる。第四に、投資する側から投資される側に流れる。第五に、通貨は、金利が低い方から高い方に流れる。第六に、通貨は、物と逆の方向に流れる。物は、価格が低い方から高い方へ流れる。故に、通貨は、物価が高い方から低い方に流れる。

 通貨の流れる量は、第一に、貨幣の供給量に関連する。第二に、市場の取引の量に比例する。第三に、取引の量は需給に基づく。

 通貨価値は、第一に、通貨の流れる方向によって定まる。例えば、売る側は下がり、買う側は、上がる。第二に、通貨の流れる量によって定まる。

 取引が成立すると通貨が流れることによって通貨が流れた量と同じだけの債権と債務が同時に発生する。
 債権と債務は、通貨が反対方向に流れる、即ち、決済されることによって解消される。

 経常収支においては、輸入する側は、自国の通貨を売って、輸入国の通貨を買うことで、物を買うのであるから、輸入国側の通貨は、輸入国に滞留し、輸出国は、売買取引によって財と通貨が交換されることによって輸出国の通貨は、自国に環流する。その結果、輸入国の通貨は、外貨準備高として輸出国に蓄積される。同時に、輸入国の通貨価値は、下落する。

 資本収支は、投資する側は、投資する相手国の通貨を借り、あるいは、買い。投資される側は、投資する側に通貨を貸す、あるいは売ることによって投資を実行する事で成立する。

 民間投資を促すのは、本来金融機関でなければならないのである。公共の直接投資ではない。公共投資は、ある意味で触媒である。

 ユーロの問題は、ユーロを個々の国の問題としてのみ捉えるのではなく。ユーロ全体の問題として考える必要がある。つまり、ユーロ全体でゼロサムになるものは何か、そして、それが何を意味するのかである。個々の国の問題は、個々の国が独自で片付けられる問題と、個々の国独自に片付けられない問題がある
 又、全ての国の経常収支を黒字には出来ない。この二つが前提である。

 重要なのは、何と何が、どの様な位置で、どの時点で、どの様にゼロサムになるかである。

 ギリシャ問題の解決策の一つとしてECBが直接ユーロ債を発行して、ユーロが公共投資を行う。つまり、採算がとれる投資をユーロ自体が行うのである。また、オリンピックや万博のようなイベントを民間の投資で開催すると言ったことが考えられる。どちらにしても採算を度外視した投資をすべきではないのである。

 今の会計に対する議論は、最初に会計ありきという前提に基づいている。それ故に、会計が学問として確立されず、単なる技術論に堕している。しかし、会計は、経済に対する歴とした一つの思想であり、又、今日の市場経済の論理の骨格を成す理念である。故に、その根本思想や哲学から論を起こす必要がある。








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