重要なのは、前提条件である。



 経済現象は、認識によって引き起こされる現象もある。なぜならば、経済現象は、認識の上に成り立っている現象だからである。

 重要なのは、前提条件である。大恐慌時代と現代は違うのである。それを同じ前提に則って分析したら、正確な分析などできない。
 第一に、貨幣制度が違うのである。また、生産能力や情報技術やインフラストラクチャーが格段に違う。国際環境も市場環境も違うのである。これだけ前提条件が違うのに、経済現象を同じ前提に基づいて議論をしている。馬鹿げたことである。

 何をキッカケにして、何が、どう変わったか。
 キッカケとなった事象は、結果なのか、原因なのか、それが重要な意味を持つことがある。

 借方、即ち、正の部分は、資金の運用を表し、貸方、即ち、負の部分は、資金の調達、即ち、貨幣の供給を担う。故に、負の部分が悪いのではなく。負の部分の規模が問題なのである。
 この点は、企業会計のみならず。財政も同じである。
 
 財政も含めてなぜ、負債が増えるのか。その仕組みを知らないと負債の増加は防げない。その為には、負債を悪役扱いばかりしていたら負債の真の役割を理解し、より積極的、能動的に活用することができなくなるのである。
 負債が増える原因として考えられるのは、資産の増加か、運転資金、損失の発生である。

 貨幣経済とは、生産財を貨幣を媒介として人々に分配する仕組みである。又、経済量は、人数、物量、貨幣量の三つである。故に、経済単位というのは、対象に対して何を一とするかによって決まる相対的単位である。
 つまり、一人当たり収益、一人当たり生産量、一人当たり消費量、一人当たり供給量等である。
 そして、基本は、生産財と労働と分配である。総生産と総所得、総消費である。それに対応する通貨量である。
 適正な規模と平均値、バラツキ、メディアンといった統計的な形が重要さなる。
 人当たりの所得が維持されているかが、経済において重要なのである。それは、一人当たりの所得を均一化せよというのではない。かといって極端な偏りは、財の分配や貨幣の流通に齟齬をきたすことになる。例えば、産業のコモディティ化に伴う収益の低下が好例である。

 国債や通貨量についても適正な量を明らかにしないで多いとか少ないと騒いでも解決には結びつかないのである。

 我々は、商品や用役を購入し、支払をする際お札と硬貨を出す。我々は、このお札と硬貨を区別して使うことはない。ただ、持ち運びや使用に便利であるかどうかが問題なのである。そして、なんとなくお札は高額で、硬貨は少額だという意識を持っている。
 
 紙幣は、貨幣自体に実物貨幣のような相応の価値を有さないために、発行の際、債権債務関係を生じさせる。
 それに対して硬貨は、政府発行であり、実物貨幣であるから債権債務関係を生じさせない反面、長く市場に滞留、即ち、回収が困難だという性格ある。
 この紙幣と硬貨の違いは、財政を考える上で重要な意味がある。一口に貨幣と言うが、貨幣と見なされる物は、一種類ではなく、それぞれの働きに微妙な差がある。紙幣と硬貨の発行比率にも重要な意味が隠されている。

 貨幣は、公共投資(社会資本、国防、行政費用)を通じて供給される。

 国債を担保とした紙幣と実物貨幣である硬貨によって供給された貨幣は、公共投資によって資産に変換され、資産に変換される過程で投資相手の収益に還元される。収益は、利益と費用に分解され、そして、費用は、収益に還元される。この過程をついじて貨幣は、循環し始めるのである。
 貨幣の流通を著すのは、期間損益においては、基本的に収益と費用であることを忘れてはならない。つまり、収益と費用は、単位期間における現金の動きと財の関係を表しているのである。

 期間損益主義に基づけば、貨幣の働きによって生じる要素は資産、負債、資本、費用、収益の五つに分類される。

 民間では、借入金、資本、利益によって調達した資金を資産を介して収益によって回収し、費用で分配する。
 収益の内訳は、仕入れ原価、労務費、経費、償却費、そして、利益である。
 償却費と利益で借入金の元本を返済する。利益と償却費が不足すると借入金は増加する。

 利益は、税と配当、長期借入金の元本、報酬に分解される。費用の中の償却費は借入金の元本の返済に充てられる。

 期間損益主義で見た場合、は、財政も同じである。
 ただ、財政と民間では、個々の要素を形成する部品には違いがある。
 例えば、財政上の収益は、税収と事業収益である。

 税制を構成する税の多くは、単位期間など一部の税を除いて単位期間内に一回転しかしない。それが事業収益との違いである。

 収益を決めるのは、量と回転である。
 単位期間内において一回転しかしない税収によって国家収益を高めるのは限界がある。国家収益あげるためには、回転率の高い税制を導入するか、事業収益の比率を高めることを考えるべきである。

 民間金融機関にとって公共機関は、最も安心して融資できる相手であるはずである。
 ただし、公共事業を事業として認知することができればと言う前提である。

 ギリシア問題では、財政再建に民間の資金を導入しようとして反撥を受けている。
 民間金融機関にとって公共機関は、最も安心して融資できる相手であるはずである。
 ただし、公共事業を事業として認知することができればと言う前提である。公共事業を事業として認知できないから民間の金融機関は、融資を渋るのである。

 期間損益主義に基づけば、貨幣の働きによって生じる要素は資産、負債、資本、費用、収益の五つに分類される。

 国債を担保とした紙幣と実物貨幣である硬貨によって供給された貨幣は、公共投資によって資産に変換され、資産に変換される過程で投資相手の収益に還元される。収益は、利益と費用に分解され、そして、費用は、収益に還元される。この過程をついじて貨幣は、循環し始めるのである。
 貨幣の流通を表しているのは、期間損益においては、基本的に収益と費用であることを忘れてはならない。つまり、収益と費用は、単位期間における現金の動きと財の関係を表しているのである。

 そして、所得と供給の均衡が経済の安定を担っているのである。所得の分布の適正なバラツキと平均が重要であり、それを測るための単位が経済単位なのである。

 経済の状態というのは、所得の有り様と供給の有り様で決まるのである。所得の偏りやバラツキ、平均、規模、格差によって国民生活の有り様が定まる。生産財の供給の構成や絶対量の確保等によって経済の状態は決まる。そして、それらを交換によって結び付けている貨幣の量が経済の状態を決めるのである。
 そして、その根底は収益に求められる。収益が低下すれば、必要な費用や利益が確保されなくなるのである。

 例えば、産業のコモディティ化に伴う収益の低下が好例である。産業は、成熟するにつれて技術革新の余地が少なくなりコモディティ化していく。コモディティ化しているのに、無原則な競争を続けると収益力の低下や寡占、独占化を招く。それを防ぐためには何等かの規制が必要とされるのである。

 現在、会計の目的に対する認識は、利害関係者に経営状態を報告し、監視することにあるとされている。しかし、会計が本来の力は、人、物、金の働きを調整し、調和させるときに発揮される。
 経済は、人、物、金の働きが調和した時、円滑に機能する。人とは、欲求、即ち、需要である。物とは、生産である。金とは、交換の手段である。問題なのは、各々の規模である。
 つまり、需要と供給と貨幣の量が調和した時、経済は、安定する。需要には偏りが生じる。供給にも偏りが生じる。貨幣にも偏りが生じる。その偏りを是正する手段として会計がある。

 需要とは、人の関数として表される。需要の背後にあるのは、第一に、消費である。第二に、労働である。これらを貨幣に結び付けているのが、支出と所得である。
 供給とは、物の関数として表される。供給の背後にあるのは、第一に、生産である。第二に、分配である。これらを貨幣と結び付けているのが、投資と収益である。

 会計というのは、人と物と金の関数である。




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