市場のうねり


 今の経済の最大の問題点は、非常、臨時、一時的、或いは、変動、変革、不確実、不定期、拡大、成長といった変化の上に立脚しているという点にある。砂上の楼閣なのである。変化の上に立脚しているからこそ不安定であり、不確かであり、不安なのである。それは、当然の帰結である。
 経済を安定させる基盤は、より頑強で固定的、即ち、負の部分、(負債、資本、収益)の有り様にあることを忘れてはならない。

 期間損益主義とは、現金主義に時間軸を加えることによって成り立っているとも言える。

 期間損益とは、人、物、金という座標軸が作り出す経済的空間に時間軸を加える事によって形成される空間を基盤としている。単位期間内の構造と、長期期間の構造、単位期間と長期期間とが作り出す時間構造によって経済現象を解明し、又制御していこうという思想が期間損益主義である。

 短期的な均衡を求めても自ずと限界がある。それを考えると財政の単年度均衡主義を放棄すべきなのである。経済的均衡は、短期、長期の時間構造の中で調節されるべきなのである。
 その為には、単位期間における損益構造と短期、長期における現金の流れの時間構造の両面から財政を検討する必要がある。

 負債があるという事は、それに見合う資産があるという事を会計上は意味し、資産があるという事は、それに釣り合う負債か資本があるという事を意味している。この事が正しく理解されていないのである。
 気をつけなければならないのは、資産と財産とは違うと言う事である。帳簿に資産と計上されていない財産は、いかに価値があっても帳簿上は無価値である。又、帳簿に計上されている価値が資産価値を示す。帳簿に記載されている価値以上の価値があろうと、又、逆になかろうと会計上は問題ないのである。
 不良債権というのは、一般には、資産価値が帳簿上に記載されている値より減価した資産を言う。しかし、これは明らかに誤謬である。いくら、帳簿に記載されている価値より減価したとしてもそれが経営活動に活用、或いは貢献している限りは、資産としての価値がないわけではない。それを言うならば、担保価値が減じたという事であるから、不良債務である。しかし、だからといって不良債務だというのも間違いである。なぜならば、不良債務というのは、返済が滞った場合に言われることであり、返済が滞る原因は、収入にあるからである。一つ重要な事は、借入金の元本の返済は、損益上には現れないと言う点である。ただ、重要なのは、債務が不良であるか、否かは、収益の問題、或いは、キャッシュフローの観点から判断すべき事であり、資産価値が減少した事を根拠とすべきではない。
 それは住宅ローンを考えれば明らかである。たとえ、住宅価格が下がったと言っても月々の返済をしていれば、借入金全額を一括的に返済しろとは言えないはずである。
 それが昨今の金融機関の悪質さなのである。金融機関は、本来事業を評価すべきなのに事業評価を自分達ができないから担保主義に走っているだけなのである。その結果、長期的問題を短期的問題にすり替えて優良な企業を潰しているのである。

 帳簿に計上されていない借金は、帳簿上は負債ではない。
 注意すべき点は、負債の元本の返済は、費用ではないという事も覚えていく必要がある。つまり、負債の元本の返済原資は減価償却費と利益処分の中から捻出されなければならないと言う点である。この事は、負債の元本の返済を基本的には、減価償却費以外においては、想定していないという事を意味する。
 よく、減価償却費は、支出の伴わない費用だなんて錯覚している人がいるが、これはとんでもない間違いで、そんな考えでいると忽ち資金繰りに窮することになる。
 又、今日の日本の法人税は、税金を費用として認めていない。その為に、税金も利益の中から捻出しなければならない。つまり、借入金の返済の原資は、減価償却費と税引き後利益を当てることになる。
 問題なのは、償却資産でない資産に対する借入金の返済は、全額、利益処分から捻出しなければならないという事である。償却資産でない資産の代表は、不動産、即ち、土地である。土地が値上がりしている時は、土地の未実現利益を担保として資金を調達することができる。しかし、一旦、地価が下がりはじめると企業の資金繰りに負荷がかかることになるのである。その結果、企業の投資意欲が低下するのである。

 国債は借金なのだろうか。借金ならば借りた金は返さなければならないという事になる。しかし、国債は、公的債務であり、貨幣制度の裏付けでもあることを忘れてはならない。
 財政問題を深刻にしている原因は、事業毎に長期的な資金計画を立てていないことなのである。

 国家は、儲けては駄目という不文律のような意識がある。それが間違いなのである。儲けては駄目、借り手も駄目というならば、残された手段は強奪しかない。税というのは、一種の強奪である。勝者が大多数の敗者から貢ぎ物を奪い取ったそれが税の始まりである。
 国民国家の成立によって、税は、国家が、国民のために働くための費用という考え方が生じた。しかし、それでも国民の間には、権力を背景にして自分達の成果を強奪されているという意識がどこかで働いている。その上、借りるのも駄目となれば、国家は儲けを考えるしかなくなる。
 国家も儲けるべきなのである。 ただ、民間というのは、儲からなければやらない。国はそう言うわけにはいかない。儲からなくても国民の安全や生活に不可欠なことはやらなければならない。また、国民の間の不公平を是正する必要もある。そこは税によって賄うしかない。ただ、儲けられるところは遠慮なく儲けるべきなのである。
 公共事業の有料化、受益者負担など、儲けられるところは儲けるべきなのである。その上で、単年度均衡主義を放棄し、期間損益主義を導入すべきなのである。

 貨幣の流れには、国際市場を廻る大きなうねりがある。この貨幣の流れのうねりが国際市場を形成し、又、個々の国家の経済構造を形作っていく。各国は、この貨幣の流れのうねりに併せて自国の経済体制を変化させていく必要がある。

 国際市場を構成する国々は、国際市場の貨幣の流れのうねりに併せて経常黒字から経常赤字に、また、経常赤字から経常黒字にと対外関係を変化させる。その対外関係の変化が、変動為替制度下では、為替相場、自国の通貨の価値に反映され、そして、国内の産業構造を変化させる。
 この様な国際社会における貨幣の流れは、個々の国に流通する通貨の量に影響を与え、それが財政や家計、民間企業の状態を形作る。

 人と物の流れと貨幣の流れは、表裏をなす関係にあり、人や物の流れの反対方向に貨幣は流れる。言い替えると貨幣の流れる方向の反対方向に人と物の流れは生じる。
 経済の実相は、人と物の流れである。貨幣の流れは、人と物の流れを促す為に成立している。
 そして、貨幣経済では、先ず、貨幣が市場に流通していることが前提となる。

 国際市場には大きな貨幣の流れがある。その流れは、その時々の世界情勢によって流れる方向を変えている。
 貨幣の流れは、基本的に循環運動と循環運動が生み出す波動である。資金の流れの波動が経済に大きなうねりを生じさせるのである。
 貨幣のうねりは、家計、民間企業、財政の過不足として現れる。そして、その過不足を裏で調節するのが、金融の役割である。故に、超過預金、或いは、超過貸付の多寡と預貸率が重要な指標となる。

 経常黒字が是か非か、経常赤字は是か非かを論じるのは、間違いである。経常収支が赤字になるか、黒字になるかの基準は、絶対的な基準ではなく。その時々の市場の状態や個々の国固有の働きによって決まる。また、その調整は、長い時間の座標軸によって決まるのであり、貨幣の流れる方向を単位期間の動向によってのみ見極めるのは困難である。単位期間は、国内の産業の有り様を認識するためにこそ有効なのである。経済全体の動向は、短期、長期の時間構造を見て判断すべき事柄である。

 大切なのは、貨幣の流れのうねりに抗することではなく。上手く利することである。為政者は、貨幣の流れのうねりを活用して自国の経済の状態を安定することなのである。

 変動相場制度が是か非か、固定相場制度が是か非かは、通貨制度の仕組み、つまり、技術的問題であり、本質的な問題ではない。変動相場制にも固定相場制にも一長一短あり。絶対的な仕組みではない。要は、その時点で最も適した仕組みを選択すればいいのである。
 ただ、近視眼的な捉え方だけでは、貨幣の流れの大きなうねりを理解することはできない。





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