決算書は、取引を集計した集計表であり、複式簿記は、取引を集計し、決算書を作成するための手続、操作である。会計は、手続、操作の基準、及び、規則である。:決算書の目的は、期間の経営業績を期間損益の規則に従って算出することである。
 即ち、複式簿記は、取引の集合であり、取引を構成する要素は勘定である。故に、複式簿記は、取引の集合であり、元は、勘定である。会計、及び、複式簿記は群である。
 勘定は、借方、貸方に類別される。故に、借方、貸方は、複式簿記における類であり、会計の部分集合である。
 又、借方は、総資産と費用によって構成される。総資産は勘定の集合であり、総資産の元は、資産に類別された勘定であり、費用の元は費用に類別された勘定である。借方は、資産と費用に類別される。故に、資産と費用は、借方の類である。
 貸方は、総資本と収益によって構成される。総資産は、負債と資本(純資産)によって構成される。収益は、収益によって成り立つ。故に、総資本の元は、負債と資本(純資産)に類別された勘定であり、収益の元は、収益に類別される勘定である。

 借方、貸方は、複式簿記の部分集合である。資産と費用は、借方の部分集合であり、負債と資本(純資産)、収益は、貸方の部分集合である。
 故に、資産と費用と負債と資本(純資産)、収益は、複式簿記の部分集合である。

 借方は、実質的勘定であり、貸方は名目的勘定である。

 勘定は、貸借と損益に類別される。貸借は、資産、負債、資本(純資産)によって構成される。損益は、収益と費用によって構成される。貸借と損益は、勘定の集合であり、資産、負債、資本(純資産)は、貸借の類であり、収益と費用は、損益の類である。
 故に、損益は、複式簿記の部分集合であり、貸借も複式簿記の部分集合である。収益と費用は損益の部分集合であり、資産、負債、資本(純資本)は貸借の部分集合である。

 勘定の性質は、現金勘定に対する勘定の位置と働きによって定まる。即ち、勘定の属性は、現金との関係によって定義付けられるのである。

 同じ類の元になる勘定は、同値関係にある。
 勘定は、類別された領域内では正の値を取り、領域の外では負の値をとる。
 複式簿記は、取引の集合である。故に、複式簿記は、取引の認識に始まる。会計の始まりは、取引の認識と範囲を特定し、定義することである。
 取引は、帳簿、或いは、伝票に記録することによって確定する。
 取引は、取引が成立した時点において貸方、借方、二方向の勘定が同時に発生する。取引を構成する借方、貸方の値は、取引が成立した時点において均衡している。即ち、等しい。故に、借方と貸方を集計した値は、常に等しい。

 会計上は、借方勘定と貸方勘定の総和は均衡していることになっている。
 借方、貸方は、会計上均衡する仕組みに設定されているのであり、現実に、等しいという保証はない。即ち、借方、貸方の均衡は見かけ上の均衡である。

 日常取引においては、借方、貸方、同一領域内の同一勘定の値のみを合計する可算処理のみを行い。
 締め処理後に減産処理をして残高を計算する。

 利益の算出方法によってその国の自由主義経済の根本思想は明らかになる。第一に言えるのは、会計主体に対する基本的認識である。会計主体を有機的結合に基づく共同体として捉えるのか、機械的結合に基づく機関として捉えるのかの違いである。機関として捉えればあくまでも収益性や生産性を目的とした追求することになる。それに対し、共同体として位置付けた場合は、雇用の確保や社会的責任を果たせるような利益構造にすることが第一義となる。

 くれぐれも言うが、利益そのものが目的なのではない。
 例えば、経営効率のみを目的として利益の基準を設定すれば、生産性を上げればあげるほど一方で雇用は失われ、市場は過飽和な状態になり物が売れなくなる。しかし、個別の企業や国からすれば生産性を上げなければ競争力を失い、商品が売れなくなり競争に負けてしまい、産業が成り立たなくなることになる。これは矛盾している。明らかに利益の設定の仕方を間違っているのである。

 利益に対して、資産と収益は、正に作用し、負債と費用は負の働きをする。

 会計運動は、収益を軸として収益、資産、費用、負債の相互作用によって起こされる。資本(純資産)は、収益、資産、費用、負債の働きに準じて決まる従属的変数である。
 会計運動の原動力は資金であり、資金の調達力は、負債、資本(純資産)、収益に現れる。故に、勘定の性格は、利益と現金の動きに対して、どの様な働きをするかによって決まる。
 収益が悪化すると、先ず、資金調達が圧迫される。その結果、資産の費用化の速度が鈍り、また、資産の流動化が始まる。また、資金不足から短期借入金が増大し、資産が圧縮されることによって長期借入金に対する返済圧力が強まる。資産の流動化と負債の増加によって資本が圧迫される。
 長期借入金の返済原資は、利益処分に求められるが、利益処分の項目には、長借入金の返済項目がないために、長期借入金は、借り換えを前提とし、負債の項目に滞留することとなり、資本と同じ様な働きをするようになる。この長期借入金が収益が悪化するたびに蓄積される。
 資金の調達は、収益による事を原則とする。収益は、利益に反映される。利益は、企業の収益力の指標、バロメーターである。つまり、利益の中から、配当と税と、経営報酬が支払われることによって収益状態を資金調達力に反映するのである。また、赤字の場合、収益と費用の均衡が悪い事を意味する。
 赤字の要因には、収益の低下、費用の増大の二点がある。収益の低下は、市場の縮小、市場の過飽和、過当競争、購買力の低下、景気の周期、商品の周期、為替変動等がある。又、費用の増大には、原材料の高騰、市場独占、人件費の増大、政策的要因、金利負担の増加、償却費の増加、為替の変動、事故、災害の発生、物流費用の増加などがある。
 収益力が低下すれば、長期借入金や資本(純資本)の回収圧力が強まり、投資資金が不足することによって企業の成長は止まる。

 金利は費用から差し引かれる。長期借入金の原資は、減価償却費と利益処分を引いた後の利益である。この点をよく理解しておく必要がある。

 利益は、単純に収益から費用は差し引いた値であると考えるのは浅薄である。
 利益を数値的な操作だと勘違いすると利益は限りなく零に近づく。なぜならば、複式簿記の原則は均衡にあるからである。つまり、貸方と借方が等しくなるように働くからである。

 収益から費用を差し引くという考え方の背後には、費用は、悪い物という思想が隠されているように思える。兎に角費用を削減することが経営目的の一つであるように考えられているように思える。しかし、費用こそが、経済の源泉であることを忘れてはならない。費用の裏側にあるのは所得なのである。つまり、費用と所得は、一体なのである。もう一つ重要なのは、費用は消費に直結しているという点である。
 利益というのは、基準に従って導き出された値にすぎない。問題は基準にある。要するに、収益構造と、赤字の原因である。収益構造と赤字の原因の妥当性を計るための基準尺度が利益なのである。

 収益から金利や賃金が支払える状態を維持できるように利益を設定するのが会計である。つまり、会計の目的とは期間損益を維持することにある。

 労働が不足している一方で、仕事がなくて困っている者がいて、それが会計主体の収益の悪化によるとしたら、その原因は、会計制度の欠陥に求められるべきなのである。

 複式簿記の原則に従えば、貨幣価値は、取引によって生じ、借方、貸方勘定は、常に均衡する。即ち、取引勘定によって生じる貨幣価値の総和は、常に零(zero-sum)なのである。

 期間損益、即ち、複式簿記を基盤とした経済は、必ず、対極の勘定を見なければ判断できない。
 正には負、負には正、陰には陽、陽には陰の勘定が対応している。
 収入には支出が、消費には所得が、債権には債務が、売りには買いが、貸しには借りが、受取には支払が、対応しているのである。

 積極財政は、通貨の流通量を増やす反面、財政支出を増加させる。
 緊縮財政は、通貨の流通量を減少させる反面、財政支出を減少させる。

 公共投資は、雇用を創出し、雇用を高める。反面、財政支出を増大させる。又、公共投資に支出された資金も再投資に向けられないで返済に廻されれば、乗数効果は期待できない。単に負債を民間から国家に移転したに過ぎなくなる。

 購買力は貨幣が生み出す力ではない。購買力を生み出すのは、人と財である。それに対して貨幣は、購買力を裏付け、発現させる。

 財政政策は、その時の前提条件、即ち、景気動向や資産の動向を確認し、収入と支出両面に与える影響を考慮に入れて判断すべき事である。増税が収入の増加に繋がるとは限らないし、減税が収入の減少に繋がるとも限らない。

 緊縮財政を敷いて、規制を緩和するのは、市場を最も収縮させる政策である。なぜならば、収益を悪化させる上に資金を回収側に向ける政策だからである。デフレ期のこの様な政策をとればデフレを加速させる。

 金利を下げ、量的緩和策をして、規制を緩和すれば、過剰流動性が発生する。
 流量を増やして栓を閉めれば破裂する。

 自己資本規制は、資金を回収側に向ける政策である。なぜならば、総資産の規模に一定の枠を設定する施策だからである。この様な施策は、総資産の増大に一定の歯止めを掛けることになる。

 時価会計は、その時点での景気の動向を加速させる作用がある。
 デフレーション下の時価会計は、デフレーションを加速する。

 競争を促すために、規制を緩和すべきだという議論そのものが矛盾している。競争に対して順、即ち、競争を促す働きをする規制と競争に対して逆な作用をする規制があるという事である。競争を促すために規制を撤廃してしまうというのは、狂気の沙汰である。競争を促すにせよ、抑制するにせよ規制によって競争は保たれているのである。 

 競争を促進するような規制(規制緩和策)に変更することは、市場取引を活性化させる反面、企業の利益率を低下させる。競争を抑制するような規制(規制強化策)に変更することは、利益率を向上させる反面、市場取引を沈静化する。

 市場が機能するためには、市場を適度な数の企業が競合している状態に保つことが要求される。

 生産拠点、輸出拠点が特定の地域や企業に集中したり、偏ることは、経済の公正上、望ましくない。

 固定費と操業率の関係が産業の性格を考える上で重要になる。初期投資が巨額にのぼる産業は、損益分岐点が高く、勢い、操業率を高めることによって利益を確保しようとする。その為に乱売合算に陥り、自らの収益構造を悪化させて、自滅してしまうことがある。この様な産業は、規制が必要とされるのである。

 金融政策は、通貨の流量を加減する。
 市場が拡大している時は、通貨の流量を増大し、市場が縮小している時は、通貨の流量を減少させるように調整するのが原則である。
 貨幣が不足すると物流に支障、齟齬が生じ不況となる。

 金利の上昇は、企業の収益力を圧迫するが、時間価値を上昇させる。金利の低下は、企業の収益力を向上させるが、時間価値を下降させる。

 経済現象は、人の経済、物の経済、金の経済が複合して起こされる現象である。インフレーションにもインフレーションを引き起こす、要因が、人の経済、物の経済、金の経済、各々にある。

 物の購買力を決めるのは、貨幣ではない。人の消費意欲である。人の消費意欲は、必要性から生じる。人が必要だと思えば、購買力は高まり、必要でないと思えば、購買力は低下する。故に、貨幣の流通利用を増やしただけでは、消費は高まらず、貯蓄ばかりが積み上がってしまう。つまり、根本は人の経済である。

 必要な物資が不足すれば物価に上昇圧力かかかる。物が過剰になれば物価には下降圧力が働く。物が不足すれば物の値段が上がるこれは当然の理である。

 個々の国家は、経済的に自律している事が要求される。生産に偏ったり、消費に偏ることは好ましくない。その為には、自給できる物資は、極力自給できるようにするのが妥当な政策である。

 輸出可能な物資と輸入しなければならない物資(必要物資)とを明確に区分しておく必要がある。

 経済的に不安定な要素を安定化するのが金融や企業、政府と言った経営主体の役割なのである。




                 

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