経済の仕組み
現代経済の仕組みを動かす原理というのは、存外、簡単なものである。
プレーヤー(経済主体)は、「お金」を遣り繰りして手持ち資金(残高)を残すようにする。
手持ち資金以上の支払い義務が生じたらゲームオーバー、つまり破産である。
手持ち資金がなくなっただけでは、ゲームオーバーにはならない。ただ、市場から何も手に入れなくなるだけである。
手持ち資金以上の支払い義務が生じるのは、借金の返済である。だから、借金をしなければ破産する事はない。この点が味噌である。
プレーヤー、即ち、経済主体とは、個人でもあり、何らかの、集団(家計、民間企業、一般政府、非営利団体、金融機関、海外勢力等)を言う。
手持ちの「お金」を残すという事は、手持ち資金残高を維持することを意味する。だから残高計算が主となる。
経済の仕組みや経済主体を動かすのは、「お金」の出入りである。
現在経済の仕組みは、「お金」によって動いている。
経済を動かしているのは、「お金」の出入り。即ち、収支。
収支は、収入と支出によって構成されている。
収入源は、所得、借金と元手。
元手というのは、自分が生活や事業を始める時に引き継いだ物や「お金」と余剰資金(貯蓄、利益等)。余剰資金は所得から消費支出(費用)を引いた残高と考えてもいい。
支出の目的は、消費と投資と借金の返済、そして、貯蓄。
税では、所得を、第一、利子所得。第二に、配当所得。第三に、不動産所得。第四に、事業所得。第五に、給与所得。第六に、退職金所得。第七に、山林所得。第八に、譲渡所得。第九に、一時所得。第十に雑所得の十種類に分類している。言い換えると政府の所得に対する定義である。
「お金」の単位は相対的で、国家間、通貨圏間の関係で定まる。
市場経済は、経済主体間を「お金」が流れる事によって財を生産し、分配する仕組みである。
生産された財の分配は、第一段階として支払準備としての「お金」を分配し、第二段階で手に入れた「お金」を使って市場から財を購入するという二段階で実現する。
第一段階が収入、第二段階が支出を構成する。
経済主体にとっては、収入があって、支出が生じる。
取引には、相手がいて、当方の収入は、相手にとって支出となり、当方の支出は、相手にとって収入となる。
収入と支出は、表裏の関係にあり、収入の裏には、支出が、支出の裏には収入があり。
この相互関係が経済の仕組みを成り立たせている。
「お金」は使えばなくなる。「お金」がなくなれば支払い準備ができなくなる。故に、「お金」は、常に、補給され続けなければならない。「お金」の過不足が「お金」の流れを生む。
「お金」が不足を補うために、働き、財を生産し、「お金」を蓄える。
経済主体間の「お金」の遣り取りが、経済を動かしているのである。
経済主体間に資金の過不足が生じる。
「お金」があれば、市場から自分が欲しい物、生きていくのに必要な物を手に入れる事が出来る。つまり、市場から調達できる。
無論、市場にあればの話だが。
今は、大概の物は、「お金」があれば、市場から手に入れる事が出来る。
「お金」がなければ生きていくのに必要最小限な物も手に入れる事はできない。
つまり、手持ち資金がなければ、市場から何も手に入れる事はできない。昔は、生活の必要な物は、自給自足できたが、今は、必要な物は、市場でしか手に入らない状態になっている。
だから、消費者全てに「お金」が行渡っていないと生活ができない人が出てくる。
「お金」の第一の役割というのは、支払いを準備する事である。
だから、まず「お金」を手に入れる事から、ゲーム、即ち、日々の営みは始まる。
「お金」を手に入れる手段は、働く、売る、借りる、貰う、奪う、盗む、騙す等がある。
働く、売る、借りる、貰う以外の手段は、違法であり、道徳にも反する。
だから、正式に認められた手段は、働く、売る、借りる、貰うの四つである。
分配の第一段階として「お金」を遍く、一人ひとりが必要とするだけ、分配しておく必要がある。
なぜならば、「お金」は、支払いを準備するからである。
「お金」の第一の役割は、支払いを準備する事である。
問題は、如何に「お金」を分配するのかである。
「お金」の役割は、支払いを準備する。
どの様に分配するかの鍵は、何を使って、何を基準・根拠にして、どの様なやり方・仕組みによって分配するのかにかかっている。
分配の目的を達成する為には、如何に、公平に分配するのかにかかっている。
公平な分配を実現する為には、公平とは何かを明らかにする必要がある。なぜ、分配に公平さが求められるか、それは、分配が、国民の合意によって成立するからである。
国民の合意が得られなければ、分配は、成立しなくなり、社会は不安定になる。
だとしたら、公平な分配とは、働きや社会的貢献に応じて分配する事を意味する。
「お金」の第二の役割は、物や用役との交換である。
「お金」を手に入れる為には、基本的に交換を前提としている。故に、貰うという行為は、あくまでも特殊な行為であり、「お金」本来の役割からすると異例である。故に、正当的な意味での市場における「お金」の役割からは除外するのが一般的である。
働くというのは、働いた結果に対する対価として支払われる。つまり、基本的に後払いである。
故に、売る物があれば、売って換金する。つまり、「お金」に換える。
売る物がなければ、「お金」を借りる事になる。
市場では、物を売って代金を受け取るという行為と、物を買って代金を支払うという行為が、同時並行に行われる事で成立する。
つまり、市場経済は、第一に、売り手、第二に、買い手、第三に、商品、そして、最後、第四に「お金」があって成り立っている。
売る物がなければ、「お金」を借りるか、貰うかしかないが、貰うという行為は、「お金」本来の役割が逸脱しているので除外する。
そうなると、売る物がなければ、借りる事になる。
借りるというのは、何も、「お金」を借りるとは限らない。
物を買っても代金を後払いにすれば、実質的には、借金をしたの同じである。これが、買掛金や支払手形であり、売り手から見れば売掛金や受取手形になる。
企業が破産する原因となるのは、不渡り手形だという事を忘れてはならない。不渡りが出なければ、会社は倒産しない。
例え、代金を踏み倒してもである。
先に、「お金」を借りなければ、破産しないといったが、現実の市場経済は、「お金」を借りないと成り立たない。それは、一般に、最初から売れる物など持っている人は少ないし、簡単に買い手が見つからないからである。
「お金」を手に入れるまでに時間がかかるのが普通。そうなると「お金」を手に入れる迄の生活が成り立たなくなる。だから、意識するしないは別に前借によって生活は始まる。
経済の本質は、生きる為の活動、つまり、生活。
市場経済は、借金を前提として成り立っている。これが肝なのである。
現在の「お金」は、紙幣である。紙幣の根本は、借用証書。
そうだ。
「お金」の本質は借金である。
この点を見落とすと経済の本質は見えてこない。
現代の経済は、借金を前提として成り立っている。これが現実なのである。
借金がいいとか、悪いとか、是とか否とか言ったところで始まらない。それよりも、借金の性格を知り、借金をうまく制御する事を覚えないと、破産してしまう。
これは、企業であろうと、政府であろうと、金融機関であろうと、家計であろうと、個人であろうと変わらない。
政府は、「お金」を刷ればいいから、破産しないなんて考えている人もいるが、それは間違い。「お金」本来の役割を理解していないからである。
「お金」その物に実体があるわけではない。貨幣価値というのは、名目的価値であり、その時の価格が指し示す実体と価格という「お金」の値が一対になって価格は決定される。
ここに「お金」の第三の役割がある。「お金」は、市場価値、即ち、財の市場における交換価値を定める。「お金」は、尺度である。ただ、気をつけなければならないのは、「お金」は、「お金」単独で成り立つ絶対的尺度ではなく。売り手と買い手の取引によって決まる相対的尺度だという事である。
「お金」は、何らかの資産を担保にして、借金する事によって調達される。借金をすると同額の債権と債務が生じる。これが、「お金」の働きに対称性を持たせる。
借金の担保となるのは、将来の収入見込みと手持ち資産である。何を担保とするのか、それは、将来の収入と手持ち資産。これが鍵となる。
民間企業が現金を増やす手段としては、第一に、収益を上げる。
第二に、費用を減らす。
第三に、現金以外の資産を減らす。
第四に、資本を増やす。
第五に、負債を増やす事である。
家計が現金を増やす手段も基本的には同じである。
所得を増やす。
費用を減らす。生活費を切り詰める。支出を減らす。
現金以外の資産を減らす。例えば、預金を取り崩したり、株や土地などを売る。
親から相続や贈与などを受け取る。
負債を増やす。借金をする。
国家が現金を増やす手段は、第一に、税収やその他の事業収入を増やす。
第二に、公共投資や行政費用を削減する。
第三に、公有地を売却したり、国営事業を民営化する。
第四に、貨幣を発行する。
第五に、国債等を発行して借金をする。
財政の役割は、所得の再分配にある。
分配を成功させるためには、予め「お金」が遍く配分、補給される必要がある。
「お金」は、使えばなくなるのであるから、必要なだけの「お金」が絶えず補給され続けなければ経済主体は経済活動が継続できなくなる。
必要最小限の生活ができるだけの「お金」が配分されていない人が一人でもいれば、その人の生活は成り立たなくなる。
経済は生きる為の活動であるから、全ての人に生きていくために必要なだけの所得が配分されていなければならない。
分配を阻害する要素の一つは、所得の偏在、格差である。
「お金」が滞留したり、偏在していると、円滑に、市場に循環しなくなる。また、「お金」の働きを制御できなくなる。
故に、税として「お金」を徴収し、それを再分配する事で、所得の偏在を均すのが、財政の役割である。
また、国債を発行し、公共投資や公共事業を通して資金を市場に供給するのも政府の役割である。
借金は、貸し手と借り手がいてはじめて成立する。
国債も貸し手がいなければ成立しない。
金融機関の役割は、資金の過不足を均す事である。
収益は、不確かであり、波がある。それに対して費用は、確実で、ある程度、一定して発生する。
その為には、経済主体は、時間や環境の変化に応じて過不足が生じる。
その過不足を均す、即ち、整流するのが金融機関である。
費用の本質は、人件費である。つまり、所得である。
所得を均すのが金融機関の役割と言っていい。
金融の使命は、有用な働きをしている経済主体で資金が不足している経済主体に対して余剰な資金を持っている主体から融通する事にある。
金融機関の収益は、預金金利と貸付金利の金利差から生じる。金利は、時間価値を生む。
つまり、金融機関の第二の役割は時間価値を生み出す事にある。
時間価値は、「お金」の流れを促す働きがある。
また、時間価値は、付加価値の素でもある。
経済が成熟してくるに従って家計が資金余剰主体となり、民間企業が、資金不足主体となる。
資金余剰主体である家計から資金不足主体である民間企業へ資金の流れる事で経済活動は拡大する。
その上で、企業間の資金の過不足を金融機関が均し、所得の過不足を財政が均すと、市場は、安定した働きをする。
現在、この釣り合いが保てなくなり、民間企業に対する資金の流れが滞り、金融機関に資金が淀んでいる。フローとストックの均衡が破れ、民間企業の資金調達力が著しく低下したことが、その原因である。特に、気をつけなければならないのは、異常な債務の拡大である。実物資産の裏付けに依らない債務の拡大は、それだけ金融資産を増殖する。
市場の歪みが、市場への資金の流れを阻害しているのである。その為に、市場に、資金が円滑に循環しなくなっている。これが長期低迷の原因である。このまま放置すると市場は本来の働きが出来なくなる。最悪、破壊されてしまう。
市場経済で、第一に求められるのは、利益である。利益が全ての基準である。
利益を上げる事が、市場経済では第一義だという点に注目しておく必要がある。
利益を上げるという事は、収益を上げ、費用を下げる事である。
この五つの手段は、現金を増やす行為である。
言い換えると、逆にすれば、現金が減り、最悪の場合、不足する事になり、どこからか、何らかの手段を講じて、調達しなければならなくなる。
これは、民間企業だけでなく、他の経済主体、一般政府、金融機関なども同様である。家計もおおよそ同じ原則で動いている。
一般政府は例外という訳にはいかない。
これが、経済活動の基本だと考えていい。
「お金」、紙幣はどの様にして市場に供給されるか。
紙幣を市場に供給しているのは、中央銀行である。
中央銀行は、国債のような債券や預金といった金融資産を担保にとって金融機関に資金を貸出し、市場に紙幣を供給する。
一般政府は、国の資産と徴税権を担保に国債を発行する。
徴税権というのは、国の将来の収入を意味する。
金融機関は、国債を担保にして、中央銀行から紙幣を借りて、国債を政府から購入する。
政府は、国債を売った代金(紙幣)を公共投資や公共事業、行政経費を通して市場に供給する。
政府と中央銀行は、「お金」の供給と流通、即ち、信認に対して共同で責任を負っている。
第四の「お金」の役割は、分配の手段である。
「お金」は、人と物とを関連付けて分配する為の手段、道具である。生産量と人口は、有限である。紙幣は、値であるから上限がなくなれば、無限になる。無限なものでは、有限な物と人との比率を関連づける基準はにはならない。
国家の歳入は、租税及び印紙収入と公債金、そして、若干のその他の収入。
歳出は、基礎的財政収支対象経費と国債費。
政府も経済主体であるから現金残高以上に支払い義務が生じると破産する。
政府は、国債を無制限に発行できるから、破産しない等とまことしやかに主張する者がいるが、それは、間違いである。
国債は、紙幣の供給に直結している。紙幣は、分配の手段である。
とても簡単、単純な話。
「お金」は、分配の手段、道具だという事。ここが肝心。
人が百人いて、百個、物があるとしたら、それを公平に分配しようとした場合。
「お金」が百あれば価格は一でいい。
でも、「お金」が一万あるなら。単価は百になる。
「お金」の上限がなくなれば、無限に価格は上昇する。
経済量は、分配を前提として設定される。経済量は、貨幣単位によって設定される。
故に、需要量と供給量、通貨量の総量をそろえる事によって成り立つ相対的値である。
つまり、全体、総量をそろえる事で分配の単位を設定するのである。
だからこそ、三面等価を成り立たせる根拠となる。
総量をそろえる事によって総生産、総所得、総支出を等価にする事も可能となるのである。
経済単位は、分配を前提として設定される値である。
需要量と供給量は、有限であるから、通貨の流通量の上限に制約を設定しないと経済単位は成り立たない。
紙幣が無制限に発行できるとなると貨幣価値は、上に開いていしまう。
無制限に紙幣を発券したら、紙幣は、分配の役割が果たさせなくなる。
なぜならば、分配は、需要と供給の間に立って、生産と消費を均衡させる事であるから、貨幣価値の青天井になったら、有限な量を分割する事が不可能になるからである。
生産は物、消費は人の基づいている。「お金」の値の上限がなくなったら人口に基づいて物をシェアする事が出来なくなる。「お金」は、名目的値、貨幣価値は、人と物との関係によって定まる相対的価値なのである。
物価は、紙幣の流通量に従って上昇する。
紙幣の流通量に制約がなくなれば、際限なく物価が上昇する事を妨げられなくなる。
財政規律が失われた時、物価は制御する事が出来なくなる。
家計の収入は、所得と借金と資産を売る事と蓄えを取り崩す事である。
支出は、消費を目的とした支出と借金の返済、そして、預金。
手持ち資金の中から必要な財を購入し、借金を返済した後、余った資金は貯蓄される。
余った「お金」は、余剰資金として蓄えられるのである。ここに第五の「お金」の役割が生じる。
つまり、価値の保存である。
蓄えられた資金は、資本を形成する。資本は、投資に回され、金融資産と固定資産(生産手段)に転換される。資本は、債権と債務を派生させストックとなる。
資本とは、金融資産と固定資産で構成される。
第六に、「お金」の役割には、情報伝達がある。
経済の仕組みは、情報系である。情報を伝える手段が「お金」であり、価格である。
価格を通して、財を製造したり、流通させるために価格った費用や需給状況、消費動向や消費者の嗜好等の情報を交換する。その為の手段が「お金」である。
市場の情報は、損益として計上される。問題なのは、損益は、「お金」の動きや働きの全てを掌握しているわけではない点である。
特に、問題なのは、貸借に関わる「お金」の動きは、損益上には、計上されない事である。
市場を動かす「お金」の流れは、売り買いの流れと貸し借りの流れの二つの流れがある。売り買いは、分配を実現し、貸し借りは、支払いを準備する。
損益上では売り買いの流れは、計上されるが、貸し借りに関わる「お金」の働きは計上されない。
借金の返済の原資は、損益とは別に求めなければならない。つまり、収益や利益の中に借金返済の原資は含まれていないのである。借金の元本の返済は、資金移動であって費用ではないと解釈される。しかし、現実には支出を伴う。
一般に損益は、動的な働き貸借は静的な働きと考えられ、貸借、即ち、ストックには、「お金」の移動、流れがないように思われている。
しかし、実際には、「お金」の貸し借りは、「お金」の流れそのものなのである。
そして、債務が拡大すると売り買い、つまり、決済に関わる「お金」の量以上に貸し借りに関わる資金の流れの量が多くなる。そうなると市場を制御する事が難しくなねのである。
費用は、付加価値を集約した値であり、費用は分配の要である事を忘れてはならない。
収益は、適正な費用を維持する為の基礎である。
収益と費用の関係によって分配は、実現する。
もう一つ重要なのは、支出を構成するのは、費用だけではなく。
借入金の返済も支出だという事を忘れてはならない。
同様に収入を構成するのも、収益だけでなく借入金もある。
経済は、売買と貸借の均衡の上に成り立っているのである。
一方的に貸借、即ち、ストックが拡大したら経済は均衡を失い制御不能な状態に陥る。
債務の拡大は、キャッシュフローと損益の関係を乖離させてしまう。費用と借金の返済、納税の為の支出の釣り合い、バランスがとれなくする。
目に見えない支出、損益に計上されない支出が費用を圧迫し、適正な費用を維持できなくなる。それが投資に回すべき資金を抑制してしまう。
バブル崩壊後の長期停滞の裏には、過剰な債務返済の流れが働いていたのである。
借金の返済額が経常的収入を上回ったら経済主体は維持できなくなる。
経常収入というのは、家計では、所得。民間企業では収益。政府では税収を意味する。
国債の返済額が税収を上回って経済が成立できるとしたら、それはすでに、自由主義経済の範疇ではとらえられない。
それは市場経済とは別の体制に変質している証である。
七番目の「お金」の役割は、価値の一元化である。
「お金」の重要な役割の一つが価値を統一する事である。価値が一元される事で、時間とか、働きとか、物とかを同一の次元で測れるようになるし、足し算や引き算、掛け算なんかが出来るようになる。
第八に、「お金」は、生産と消費を結びつける手段だという事。
人は、仕事を通じて生産に関わり「お金」を稼ぎ。仕事で得た「お金」で消費を実現する。
生産と消費を結びつけるのは、市場取引であり。貸借取引ではない。この点が重要なのである。
最初に、奪う、盗む、騙すというのは、違法だから、市場経済から除外すると書いたけど、実際、資本主義経済の草創期には、これが認められていたというか、当然だとする風潮があって、それが、資本主義をいかがわしい物にしてしまっているところがある。今でも、どこかに、奪う事や、盗む事、騙す事を正当化しようとする傾向が残っている。
しかし、市場経済においては、奪う事や盗む事、騙す事は、ルール違反であることに間違いはない。
国際貿易は、植民地、奴隷、アヘン、戦争抜きに語れない。この点を認め、直視し、改めない限り、資本主義なんて成り立たない。
資本主義が悪いのではなくて、正しく資本主義を理解していないのが悪いのである。
経済を動かしている原理を知れば、経済の先行きに対する見通しが立ってくる。
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