物価は一つではない。


一般に物価とは、財全体の水準を統制的な指標である。
物価は、一意的に決まるものでも絶対的な基準があるわけではない。
つまり、物価に、統一的な基準があるわけではなく、一般に物価というと消費者物価を言う場合が多い。
故に、物価は、定義にの仕方や目的によって変化する。
また、物価全体の水準を表す指標として代表的なのは、消費者物価指数、企業物価指数(旧卸売物価指数)がある。

物価は一つではない。

物価の変動を一意的にとらえていたら有効な経済政策も、金融政策も産業政策も立てられない。
あらゆる経済政策は、部分の自律と全体の均衡が保てるように調節する事を目的とすべきなのである。
今日の経済政策の誤謬は、物価を一つの指標としてとらえ、個々の財や産業の動きを見ない事にある。
個々の財が作り出す物価は、各々固有の動きや働きをしている。その動きや働きに応じて施策は変える必要がある。

物価は、資金の過不足を均衡化しようとする働きがある。
物価は、所得、資金の過不足、消費水準、労働環境、資源の配分などを平準化しようとする働きがある。

物価には、統一しようとする働きと自律しようとする働きがかかる。
統一しようとする働きと自律しようとする働きの整合性がとれなくなる経済は、分裂状態に陥る。

大切なのは、物価の変動の背後に隠されている市場の構造である。表面に現れる現象に目を奪われて背後に隠されている構造を見失えば、経済を制御する事はできなくなる。

市場は全体と部分から成る。
市場は、複数の部分を構成する市場が組み合わさり、重なり合って全体の市場を構成している。
市場は場である。

部分を構成する市場は、商品毎、地域毎、段階毎に形成される。
部分を構成する市場は、商品、地域、段階によって性格も構造、働きも違っている。
部分を構成する市場は歴史的な過程を経て形成されている。

物価は、物の価格である。
全体の働きと部分の働きが価格に反映する。全体の働きは、全体を統一、統制しようという働きになり、部分の働きは、部分としての整合性や働きを維持しようとする。

この全体を統一、統制しようとする働きと、自律的な働きを保とする働きの二つの働きが市場を動かしている。

全体を統一しようという働きと、部分の自律性を守ろうとする働き、この二つの相反する働きの均衡を保とうとする行為によって、物価は変動する。物価の変動によって生活水準や所得を平準化しようとする働きが生じるのである。

全体を統一しようという働きと、個々の市場が自律性を守ろうとする働きの相互作用が、よく現れているのが為替の変動である。物価と為替は、表裏の関係にある。為替の変動は、輸出入物価に直結している。
輸出入物価は、国内物価と国際物価双方に働いて内外の経済格差を是正しようとする。
為替によって国内、国際市場は地球的規模で結びついている。

物価は、物の価格を基礎とした指標である。物の価格というのは、貨幣価値を言う。つまり、物価の働きは、貨幣、即ち、「お金」の性格に依る部分が大きい。

「お金」の性格は、第一に、「お金」は、循環する事で効用を発揮すると言う点である。第二に、「お金」は、名目的指標であって実体がないという事である。第三に、名目的価値は劣化しない。第四に、「お金」は、交換価値を数値化し、表象している。第五に、貨幣体系は閉じた体系だと言う点である。第六に、貨幣価値は、上に開いている。第七に、貨幣価値は保存ができて、蓄積できる。第八に、貨幣価値は、相対的価値であり、絶対的基準ではない。第九に、「お金」は匿名性がある。第十に、「お金」の本質は、情報だと言う点である。

「お金」は循環する事によって効用を発揮する。「お金」を循環させるのは、資金の過不足である。そして、実際的に「お金」を動かしているのは、売り買い、貸し借りである。
名目的指標である「お金」は、「お金」自体が実体を持っているわけではない。「お金」が指し示す対象があって成り立つ。そして、お金は、何らかの対象と交換される事に依ってはじめて効用を発揮する。「お金」は、使わなければ意味がない。「お金」は、尺度である。
「お金」の本質は、数値であり、情報である。「お金」は対象とと結びつく事であり、対象の交換価値を数値化する。数値化された交換価値が貨幣価値である。交換価値を表象する貨幣価値は相対的である。貨幣単位は、絶対的基準ではなく。絶えず揺れ動いてい
自然数である貨幣価値は、上に開いている。つまり、何らかの制約を設けないと貨幣価値は無限に拡散する。
「お金」が作り出す体系は、閉じた体系であり、物や人の体系から独立している。
貨幣価値は保存する事が出来、貨幣は貯める事が出来る。
「お金」は、匿名であり、所有者を特定できない。「お金」には、色がない。

これらの「お金」の性格と市場の構造が物価を形成している。
人と物には限りがあるが、貨幣価値には限りがない。限りある物を限りないもので測ろうとすれば、何らかの制約を設けない限り無限に拡散してしまう。「お金」とは、そのようなものである。そして、人の欲も限りない。限りない貨幣価値と限りない欲が結びつけば、抑制は効かなくなる。

物価の変動を一意的にとらえていたら有効な経済政策も、金融政策も産業政策も立てられない。
あらゆる経済政策は、部分の自律と全体の均衡が保てるように調節する事を目的とすべきなのである。
今日の経済政策の誤謬は、物価を一つの指標としてとらえ、個々の財や産業の動きを見ない事にある。
個々の財が作り出す物価は、各々固有の動きや働きをしている。その動きや働きに応じて施策は変える必要がある。

公正な取引を維持しようとして市場の規律を保つ事は、各国の市場の規律に影響を与える。物価を通じて所得や労働条件、生活水準は平準化される。その為には、公正な競争を維持される様に市場は規制されるべきなのである。

物価の働きは、全体と部分の働きの均衡が重要なのであり、全体だけ見ていても部分だけ見ていても理解できない。
今の経済学は、政策や企業経営に直接的に役に立っていない。現実の社会に活用できない学問は科学ではない。




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