人・物・金


経済成長には、物的成長、人的成長、金銭的成長がある。物的成長は、生産の拡大によって支えられ、人的成長は、消費によって促され、金銭的拡大は、所得に基づいている。そして、市場経済下では、市場が人と物と金を統合する場として働いている。
人的均衡、物的均衡、金銭的均衡を調和しようとする市場の働きが経済を動かす力となるのである。

ただ経済成長は、一般に、自由主義経済では、貨幣の動きとして認識される。故に、経済成長というと貨幣価値、即ち、金銭上の事象として錯覚しやすい。
その為に、物や人と言った経済の実態がどのように動いていのかを、正確に掌握し制御する事が難しくなってしまっている。貨幣が表しているのは名目的な事であって、実体は、人や物にある事を忘れてはならない。

貨幣価値というのは、物の価値と貨幣単位の積として表される。この事からも明らかなように、「お金」は、経済の動きを増幅する作用がある。
その為に、物や人の動きが誇張されてしまう事がある。「お金」の動きがかえって人や物の働きを弱めたり、阻害したりする。ハイパーインフレーションも大恐慌も「お金」が起こす現象である。言い換えれば「お金」がなければ、大恐慌もハイパーインフレーションも起こらない現象である。つまりは、「お金」の問題なのである。「お金」がなくても人間は生きていくことができる。人は、パンのみに生きるにあらず。ただ、「お金」があった方が便利なだけである。今日、日々の生活にお金は不可欠なものになった。しかし、それは人の意志がそうさせたのである。神の意志ではない。
「お金」は、手段である。目的にはならない。現代社会の病巣は、手段である「お金」が目的化し、万能になりつつあることである。万能なのは神のみである。「お金」は、手段なのだと割り切って、「お金」に支配されないようにする事である。その為には、実体を直視する事である。「お金」の問題は人が解決すべき事である。

現在の経済が均衡して見えるのは、会計上、つまり、「お金」の仕組みの上で均衡しているのであり、人や物の経済が均衡しているわけではない。人や物の経済は、不均衡なのである。
現在の経済は、「お金」の世界に合わせて無理やり均衡させようとしているのであって人や物の経済に「お金」の仕組みを合わせない限り、実体的経済の仕組みは、円滑に機能しない。本来、人や物の経済を均衡させることが経済の仕組みの目的だからである。

人と物の不均衡を是正するように「お金」の仕組みがならない限り、使い切れないほどの金を持て余す人々いる一方で、貧しい者は、更に貧しくなっていく。

そして、物や人がどうあるべきか、あるべき姿を明らかにしたうえで、それに合わせて「お金」の仕組みを再構築する事なのである。
物や人のあるべき関係を明らかにするのは、人の意志である。だからこそ、人の強い意志が試されるのである。
人を滅亡に導くのも繁栄に導くのも人の意志である。神の意志ではない。神は、ただ超然たる存在である。

物の動きに対して「お金」が、何に、どの時点で、どの様に作用を及ぼすかを明確にする必要がある。

神を信じ。首を垂れてただひたすらに神に許しを請う。人の事は人へ。神のものは神へ。




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