財       政


 財政とは仕組みである。

 一般に景気の状態を説明するのに、個々の経済主体に対する貨幣の出入りばかりを問題にするが、実際に景気の動向を左右するのは、貨幣の循環なのである。
 経済の仕組みを動かしているのは貨幣の流れであり、貨幣の供給は、国家から民間へ貨幣の転移する事を意味している。個々の経済主体が赤字か黒字かに関わりなく、流通する貨幣の量は一定なのである。
 貨幣の循環が円滑でなくなると経済主体は機能しなくなる。経済主体が機能しなくなることが原因で不況になるのである。不況というのは、経済の状態である。
 財政の悪化は、貨幣の回収と供給の均衡がとれないことに原因している。

 貨幣の転移は、所有権の転移を伴う。

 貨幣価値があることと、貨幣があるという事とは違う。

 貨幣は流れることで効用を発揮する。停滞すると効用を発揮することはできない。資産も負債も、貨幣が流れることで貨幣価値が現れるのである。資産や、負債それ自体が効用を持つわけではない。経済主体はそれほど多くの現金を蓄えているわけではない。

 貨幣価値の本源は、貸し借りである。
 貨幣価値を転移する操作は、売買と貸し借りである。売買は、所有権の移動を意味する。貸し借りは、債権と債務の交換を意味する。

 この様な貨幣の動きは波を起こすのである。つまり、貨幣が移動したら資産の波と負債の波が生じるのである。その二つの波が打ち消し在って全体の均衡を保つのである。この二つの波が、貨幣経済における経済活動の原動力となるのである。

 財政は、仕組みである。財政を国家の収支を表したものと錯覚している人が多い。しかし、財政というのは、貨幣を循環させる仕組みである。その意味では、資金を循環させる仕組みが形成されているか、否かが、財政の健全さを維持するための鍵を握っている。
 慢性的な財政赤字が解消できないとしたら、財政の仕組みに何等かの欠陥があるのである。

 財政が貨幣を循環させる仕組みになっていない。それが財政問題の根底にある。財政を現金の収支という断面からしか捉えていないのが原因である。
 なぜ、財政を現金収支という側面でしか捉えていないのかというとそれは、財政が成立した当初に問題があるからである。
 その問題の根本に税制と貨幣制度がある。税制度と貨幣制度が結びついていないことが最大の問題なのである。

 実物貨幣は、実物貨幣が形成された当初、一方的に貨幣を市場に放出、供給し続け、回収を前提としていなかった。
 回収を前提としていない財政の仕組みでは、金、銀と言った貨幣の素材となる原材料が底をつけば、貨幣を供給することができなくなり、財政は破綻してしまうのである。

 このような状態では、貨幣は垂れ流し状態になる。
 近代的な意味での貨幣制度が確立されていない時代では、貨幣が、交換価値としての本来の機能を持つためには、貨幣その物が実物価値を持つ必要がある。
 その為に、金、銀、銅と言った高価な価値を持つ物が実物貨幣の素材として選ばれたのである。
 ただ、貨幣は、当初、税と結びついていたわけではなく。支払手段の一部として考えられていた。
 納税の手段は、専ら、物や使役による物納が主であった。

 この様、金貨や銀貨、銅貨の垂れ流し状態が続くと、金や銀、銅の所有者が公的な機関から私的機関へと転移してしまう。
 金や銀が底をつくと貨幣によって調達していた物資が滞るようになる。そうなると公的な機関は、貨幣を私的機関から借りるか、税として徴収するようになる。

 私的機関は、期間損益は、収益と費用とを対応させることで、資金が循環する仕組みを構築した。つまり、見返りを前提とした仕組みを作ったのである。

 税には反対給付がない。故に、収益と費用とを結び付けて制御する事ができないのである。即ち、期間損益主義が確立されていないのである。
 その為に、財政は、未だに仕組みとして確立されていないのである。

 又、期間損益が確立されていなければ、物は、負の価値を持たない。貸し借りの関係が生じても、記憶か記録に頼らざるを得ない。記録は、特殊な技術を必要としたため、必然的に情報に非対称性が生じることとなる。
 負の価値は、貨幣が流通することによって成立する。つまり、貨幣価値とは、負の価値を意味するのである。その点を理解しないと貨幣の働きを理解することはできない。

 期間損益という観点からすると黒字は良で赤字は悪だとばかりは言いきれない。収益と費用との均衡化に判断すべき事なのである。

 貨幣制度が成立する要素の一つは、余剰生産物と余剰労働力の問題がある。
 農耕などによって生産力が増大すると余剰生産物を生み出す。余剰生産力は、裏返すと労働力の過剰を意味する。この余剰の生産物と労働力を解消する必要性が生じるのである。

 余剰労働力を吸収した事業の大きいの部分を占めているのが、軍事と宗教である。そこに、軍事と宗教の果たした経済的役割の秘密が隠されている。
 この事は財政の本質的な部分を暗示している。

 血液が全身を循環するように、貨幣は、市場全体を循環していなければ市場は機能しない。血液は全て心臓を経由しなければならないように、財政の仕組みにも心臓部が必要となる。そして、その心臓部は、全ての貨幣が環流されなければならない。

 資金が消費の方向に流れるか、投資の方向に流れるかが、重要なのである。
 投資にも、在庫投資、設備投資、建設投資、金融投資、軍事投資がある。在庫投資は、製造業に、設備投資は、機械産業に、建設投資は、建設業に、軍事投資は、軍事産業に資金を環流する。
 気をつけなければならないのは、軍事産業は、拡大再生産のない、自己完結型の閉ざされた産業だという点である。

 収益は、原価と付加価値から成る。
 経済的価値は、付加価値によって形成される。
 付加価値は、人件費と減価償却費、利子、地代、そして、利潤である。付加価値は、費用と利益によって構成されている。
 人件費は、所得を形成し、利子と地代、利益は、時間価値を形成する。
 資産に対する投資は、他経済主体の収益、所得の方向に資金を流す。資産には、償却資産(建物、設備)と非償却資産(土地)がある。償却資産は、費用性資産であり、将来費用に転化する資産であると同時、負債の返済原資となる。
 投資は、資産を形成すると同時に負債を発生させる。一度負債が形成されると負債に対する返済義務が生じる。
 元本(負債)の返済資金にあたる部分は、減価償却費(費用)と税引き後利益(資本)である。
 元本(負債)の返済と金利(費用)で、この部分は、金融機関に環流する。
 非償却資産の返済資金は、費用化されずに、新たな借入の因子となる。この部分は、長く滞留して、貨幣の通貨量に影響する。

 アメリカの市場や会計制度は、自国の実業、とりわけ、製造業に厳しい仕組みである。アメリカの産業は市場や会計制度を抜本的に見直さない限り、確実に衰退してしまう。一番問題なのは、市場も会計も非現実的な前提の基に構築されていると言う事である。つまり根本思想に無理があるのである。

 アメリカではアメリカ企業の利益に占める製造業の利益の割合は三割をきってきている。反対に金融業が占める利益の割合は三割強にまで上昇してきている。

 アメリカでは、物づくりができなくなったのではなく。アメリカ自体が物づくりでは利益が上がらない仕組みしたのである。

 会計は本来、長期的資金と短期的資金の働きを調節することが目的であった。しかし、会計が短期的な利益のみを追求するような仕組みになったことによって短期に資金を廻す事のみを目的とするようになった。その為に、資金が実業に廻らなくなり、金融市場において見かけ上の利益をあげることに汲々とするようになった。

 特許や著作権に護られた産業だけが繁栄している。それが意味することを忘れてはならない。つまり、何の規制もない市場は無法地帯なのである。

 経常黒字の国があれば、経常赤字の国がある。自国通貨が上昇する国があれば下がる国がある。資本収支が赤字の国があれば黒字国がある。それがゼロサムである。
 つまり、プロ野球の勝敗表のようなもので、個々のチームには、勝率や星取があっても全てを足すと勝ち負けは均衡、即ち零になるのである。
 又、この様な勝ち負けを前提とした仕組み、勝負事は、一人、或いは、一組ではできない、成り立たないのである。かといって二人、二組でも続かない。かといって無制限にしたら、全体として決着がつかない。
 適正な数のチームがあって始めて全体も部分も均衡する。それが、市場経済なのである。

 足らない処があるから余るところが生じるのである。過不足があることが悪いのではない。過不足があるから、資金は循環する。大切なのは、過不足の均衡である。
 資金が余っているところから、足らないところに資金を融通する。それが金融や財政の役割である。
 資金が足らない国に、資金が余っている国から投資できれば、資金は循環するのである。ところがそれが簡単にはできない。資金が余っている国に資金が集まり、資金が足らない国にはなかなか資金が廻っていかない。
 だから経済は、破綻するのである。

 今日のヨーロッパで言えば資金が足らないギリシアに国際的な事業団が余剰資金を持つ国から資金を調達して、何等かの社会投資をすればいいのである。しかし、国家間の利害が絡むとなかなか上手く事が運ばないものなのである。








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